ニメーション基礎美学
 デイヴィッド・オライリー(訳:土居伸彰
David O'Reilly, “Basic Animation Aesthetics"(2009) from David O'Reilly Animation Internet Website
  
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 Animationsのコンテンツではこれまで、3DCGアニメーションやコンピュータを利用したアニメーション作品についてあまり取り上げることがなく、取り上げた場合であっても批判的な態度をとることが多かった。(アニメーションをめぐる言説のひとつの大きな傾向であるともいえるだろう。)
 しかし、無意識的に3DCGアニメーションに批判的な態度をとってしまう傾向がある人であっても、デイヴィッド・オライリーの『プリーズ・セイ・サムシング』Please Say Somethingには何かしら感じ入るところはあるのではないか。(僕自身がその代表的な人間である。)
 2009年、世界中のフェスティバルで受賞を続けているこの素朴な外見の3DCG作品は、他といったい何が異なるのか。今回掲載するデイヴィッド・オライリーによる刺激的な論考「アニメーション基礎美学」は、そんな彼の作品が持つ「何か」の一端を明らかにしてくれるテキストである。
 この論考で、CGアニメーション界に現れた新星デイヴィッド・オライリーは、「一貫性」こそが芸術作品のオリジナリティーの鍵であるという考えのもと、その達成のために、無制限の自由が可能になるCGというメディアにおいて、あえて制約を設けることで創作に励んでいることを明らかにする。映画監督をはじめとした人々の言葉が引用されていることからも明らかなように、この作業が持つ有効性は、CGアニメーションに留まらないアニメーション一般(いや、芸術創造一般)にまで及ぶようにも思われる。個人的には、(ときおり青臭さも感じさせるものの)アニメーション創造における理論をきちんと言語化して提示してくれた同世代の作家が出てきたことに最大限の敬意を表したい。
 オリジナルはドイツの雑誌Objects Magazineにドイツ語で掲載。今回は、オリジナルの英語原稿をデイヴィッド・オライリー氏本人の許可を得て、日本語版を掲載させてもらうことにした。依頼を快諾してくれたオライリー氏に感謝したい。
 『プリーズ・セイ・サムシング』はここで観ることができる。(土居伸彰)


 これからアニメーションについて語るにあたって、美学とは単純に、ある作品世界を作り上げるための種々の要素(作品を組み立てるための映像と音のブロック)のことを指すこととする。

 アニメーションにおける美学の重要性はとても捉えにくいものなのだが、実際にはかなり重要だ。もしかすると、こういったテーマで話すのは表面的なことのように思えてしまうかもしれない。映画というものは、純粋な美的経験というよりも、内容や物語と多く関わるものだからだ。しかし、アニメーションのヴィジュアル面の本性を考えてみると、このテーマについて考えることは重要に思える。アニメーションには、商業であれインディペンデントであれ、イカダのようにつながっていく伝統があり、ずっと同じような見かけのものが続いている。しかし、私はそうあるべきだとは思わない。このテーマについて深く考えれば考えるほど、そしてコンピュータによるアニメーションが持つ可能性と興味深さを考えれば考えるほど、このメディアは最近ようやく開け放たれたパンドラの箱であるような気がしてくる。まだ検討も理解もされておらず、飼いならされてもいない可能性があるのだ。

 物語がうまく機能しているかどうかについては、うまく説明できることもある。しかし、ピクセルがスクリーン上でいかにして組み立てられていくかについては、われわれの言語は限界を持っているようだ。ただし、それにもかかわらず、われわれは映像のなかでなにかがうまくいっていないことに気付く。理由を説明できないにも関わらず。アニメーション作品というのは、現実的であると同時に非現実的にも感じられてしまうことがありえるのだ。悪い美学を持った作品は、想定していなかったことを作品に語らせてしまう。そんな作品は未熟に思え、観客ともきちんとした関係性を結ぶことができない。美学に対して関心を持つことによって、観客に作品世界を信じさせ、映画を見ているのだということを忘れさせ、作家は自分の想定していた感情を抱かせることができる。従って、私の今日の目的は、どうしてある種のものがうまく機能したりしなかったりするのか、それを説明することにある。

 3DCGアニメーションは現在、多くの人がツールとして用いることはできるものの、それをいかにして利用するかについての実り多きガイドラインを持ちえている人は少ないという状態にある。問題は、このツールがあまりに強力であるわりに、それを抑えるものがほとんどないというところにある。自由に用いることのできるものがあまりに多いのである。他の形式のアニメーションは、内在的に抱えている制約に恩恵を受けているが、そのほとんどは、3DCGに関しては存在しない。

 この論考では主に、私の最新作『プリーズ・セイ・サムシング』Please Say Somethingを取り上げる。2009年のベルリン国際映画祭の最優秀短編賞を受賞した作品だ。受賞という事実自体は今回の話とは無関係だが、アニメーション美学に対する私の考え方、その背後に隠された理論というものがうまく機能したということを私に確信させてくれたのは確かである。作品を構成する諸要素――作品の表面に現れているものも、その周辺にあるものも――について、説明する必要もなく、機能したのである。この論考は、作品鑑賞のガイドというより、私が採用したアプローチの分析となる。


ベルリン国際映画祭(2009)でのPlease Say Something ©David OReilly Animation 2009

 『プリーズ・セイ・サムシング』の作品世界を構築する際、私はこのことを最も中心的に考えていた――完全なる人工物でまったくリアルではないものでも、情動を伝達することはできるし、映画としての真実性を保つことはできる。『プリーズ・セイ・サムシング』は、コンピュータ・アニメーションであるという事実を覆い隠すようなことはせず、使用するソフトウェアに由来する、現実から遠く離れた人工的なものを用いている。このやり方は、アニメーション・シーン全体の方向性――リアルな照明やレンダリング技術を用いたり、もしくは逆に、手描きの素朴な外見を用いることで、絶対的に現実的な外見にしようという方向性――の正反対にある。この論考の執筆時点では、その傾向が消えそうな気配はない。>2
デイヴィッド・オライリー「アニメーション基礎美学」(1)
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