ボルバー
Revolver(1993)

反復と変化、呼吸のように


「Revolver」(回転・循環するもの)というタイトルにもあるように、この作品は、反復を用いた様々な短い動きを連続でつなぐことで一本のアニメーションとなっている。
 しかし反復をこれだけ繰り返しているにも関わらず、なぜだかすぐにはその構成に気付くことができない。同じ絵なのに変わっているように見えてしまったり、変わっているところを見つけようともしてしまう。じわじわと「リピートなんだ」ということがみえてくる。反復される短い動きのひとつひとつのなかで語られているものが非常に強力で、それらがまるでパズルを組み合わせるかのように、細かく掛け合わされていき、流れるようにアニメートされ、無駄なくループがつなげられていく。その複雑かつ繊細でスマートな構成が、そんな反復と変化の両方を感じてしまう揺れの原因なのではないか。

 言葉による表現もなく、物語のつながりは明確ではないので、観る者は勝手に想像を膨らませることができる。おそらく解釈はそれぞれ異なることになるだろう。
 たとえば、陸にあがった魚の目に虫が止まるシーンのあとに、キッチンで女性がその魚を押しのばしているシーンがくると、私はそこに、魚が打ち上げられ、そして調理されるまでの時間の経過を感じてしまう。
 教会のなかで見つめ合う新郎新婦の二人を中心にカメラが展開するシーンのあとに、口を取り合う男女が登場する。愛を誓い合う二人もいれば言い争う二人もいるということなのか、それとも、教会にいた二人の行く末がこうなのか。もしくはまったく関係ないのか。
 時計の盤を甲羅にまとうカニ、子供を釣り上げる漁師、顔が変形する男、心臓に群がる虫たち……現実にありえない設定で描かれるのは、決してハッピーな感情ではなく、その裏側には何か別の意味があるようだ。落ちるのが異常に早いキッチンの砂(?)時計はあおりのアングルと叩き付ける時の室内に響く乾いた効果音が裁判官のジャッジガベルを彷彿とさせる。今までの人生に決定を下すような、本当にそれでよかったのかと訴えかけられているような不安感を高めていく。モノクロの世界とアンビエント・ミュージックがそれをさらに演出する。
 作品の冒頭に登場する、滑らかな布のような動きをする波は、人を溺れさせているにもかかわらず、それ自身は冷静で感情を感じさせない。最後にまた同じカットに戻るが、さらに一歩引いた画面に登場するのは電話。ベルを鳴り響かせるが、溺れる男はそれに応じることはできない。この割り切れない感じが、作品の持つ手触りと合っている。

 表層に表れるカット同士は物語としてのつながりはないように思えるが、合間合間に入る年号にも象徴されるように、この作品は、思い出のシーンを断片的にかいつまんでつないだ一つの人生の物語であるようにも感じられる。
 最初から最後まで基調音として響きつづける呼吸音に、いつしか私自身もまた自分の呼吸を感じる。リズムは変わらないが、それでも波のように寄せては返し、少しずつ、少しずつ姿を変えていく、反復と変化を静かに繰り返す人生を観ているような、ゆっくりと呼吸するような、そんな作品だ。(田中美妃


作品DATA
Revolver (1993/ 7'53")
監督:ジョナス・オデル、スティグ・バクベスト、ラース・オヒソン、マッティ・エンストランド(Jonas Odell, Stig Bergqvist, Lars Ohlson, Martti Ekstrand)

関連サイト:
スタジオホームページ:FilmTechnarna(作家・作品情報あり)
DVD情報:「年をとった鰐&山村浩二セレクト・アニメーション」[Amazon]収録

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