イブリッジの糸
Muybridge's Strings(2011)

横田正夫 
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山村浩二『マイブリッジの糸』(2011)

 山村の作品歴とマイブリッジの殺人事件を重ねると、後者は山村の影の物語になっているように思える。マイブリッジにおいては社会的な名声を獲得し、世界的な作品を世に広めてゆくという陽の世界と、その一方に影の世界があった。山村(2011)は、最初、マイブリッジの殺人には関心を持っていなかったが、それが徐々に重要な位置を占めるようになったと説明している。マイブリッジの殺人のエピソードが重視されてきたということは、山村の中に影になる部分があり、そこにはマイブリッジの殺人が暗示するような父性のあり方が示されていると考えられないだろうか。山村作品の『頭山』『年をとった鰐』『カフカ田舎医者』の3作は、いずれも社会に馴染めない者(要するに他者との関係から距離を置く人)のありようを描いている(横田、2009)。そうした社会に馴染めないありようのひとつの極端な形がマイブリッジの殺人物語とみることができる。そうした社会に馴染めない人であっても、家族を守るということにおいては、殺人も犯す、ということである。実際マイブリッジの無罪が勝ち取られたのは、そうした家族を守る父性への共感によるものであった(Prodger, 2003; Solnit, 2003; Clegg, 2007; Braun, 2010)。
 さて、目の強調ということで思い出されるのは山村の23歳時の作品『水棲』である。この作品において、人の目のクローズアップからアニメーションが始まるといったように目が強調されている。みることが山村の関心ごとであって、しかしみることは、目の機能的限界によって捉えられないものもある。マイブリッジの撮影が示したのは、馬が走るときに4足がとも地面から離れている瞬間があるという事実であり、また写真はそれまでの画家たちの描いている馬の走り方とは全く異なるということであった。つまり画家たちの目には捉えられなかった現実をカメラが捉えていたのであり、その意味でマイブリッジの写真は衝撃的であった。画家たちがマイブリッジの写真に強い関心を示したのも当然であった。この間の事情を「寫眞史」の中で伊藤(1992)は「こうして写された連続写真は、ギャロップする馬の四本脚が一瞬完全に地面から離れるのは前脚と後脚が胴の下で出会う時だけだということを人びとに知らせ、驚かせる。というのも、それまで何世紀にもわたって、前後の脚が伸びきって地面から離れている馬のギャロップ状態の絵が描かれてきたからである」(p.98)と述べている。そしてそれは後年の山村のようなアニメーターにおいても同様であったろう。目では把握できない、非常に短い時間内での出来事の再現が、アニメーターには要求されるのである。とするならば、マイブリッジの写真への強烈な関心は、山村のアニメーションへの強烈な関心と同根のものとして理解できる。しかし、こうしたみることの強調は、皮膚接触感覚で代表されるような親密な関係から乖離する恐れがある。みる行為は、距離を取る行為であるためである。


山村浩二『マイブリッジの糸』(2011)

 『マイブリッジの糸』の興味深い点は、マイブリッジの殺人物語の一方に、日本の母娘の物語が設定されたことであった。上記のように、マイブリッジの懐中時計を魚の腹から取り出す妊婦は、マイブリッジの時代から現代まで、時が飛躍しているにしても、その遺産を引き継いだのである。時計が示すように、時間を引き継いだのであろう。日本での場面では雨が降っており、母親が描かれる場面でも雨音が聞こえ、外は雨であることが示される。
 日本ではもっぱら母娘のみが描かれるということは山村がマイブリッジのように外国のフェスティバルなどに出かけて賞を獲得するということに対応しているようにみえる。また『マイブリッジの糸』をカナダ国立映画制作庁(NFB)で制作するということが、マイブリッジがイギリスからアメリカに渡り写真家になったことに重さなる。つまり山村も、家族を日本に残して、一人外国を旅するといったことが多かったであろう。とすると、マイブリッジの物語と、日本の母子の物語は、山村自身の家族についての象徴的な物語と考えられる。山村の海外での活躍は、日本での母娘の絆の支えがあって、それがまた世代をつなげてゆくであろうという確信があって、成り立っているということなのであろう。
 アニメーションの途中に箱舟の上のノアが小さな娘にブーケを渡すシーンが挟まる。ノアの箱舟のシーンでは雨が降っており、上記の日本のシーンで雨が降っていることにつながる。そのノアはいつの間にかマイブリッジの姿になり替わり、船出が描かれる。小さな娘はブーケを持って母親の所へ行く。母親はそのブーケをいとおしげに受け取る。これと同様に山村の作品は、女の子のブーケが暗示するように、母親に渡されるべきもの(ブーケ)でもあるのであろう。
 アニメーションの始まりのほうで、マイブリッジが撮影を始めようとしている糸に手をかけると、その後ろにはノアの箱舟の船上で動物たちが、一斉に走り出そうとするかのように一列に並んで、前のめりになる。これはノアの箱舟といった神話的世界から今まで、連綿とつながってきている時間の流れがあることを暗示しており、また母娘の間の糸のつながりが示すように、将来にも受け継がれてゆく時間であることも同時に示している。アニメーションのエンドタイトルにはマイブリッジの写真(Plate 465: Child bringing a bouquet to a woman)が使われている。この写真は先に述べた女の子が母親にブーケを持って行くシーンに相当するものである。このエンドタイトルが流れる時、雨音と雷鳴も聞こえている。ノアの箱舟のシーンでは雨が降り、東京のシーンでも雨は降り続き、母親の生活の背後にも雨音が聞こえていた。それがラストにも続いていたのである。アニメーションの制作途中に、東京を水没させるアイデアがあったとのことであるが、それは捨てられた(山村、2011)。しかし雨が降りついて止まないということとノアの箱舟が暗示するように、箱舟に乗った動物以外はすべて洪水によって滅びてしまう。そしてタイトルバックの写真と雨音・雷鳴が暗示しているのは、家庭内の母と娘が、箱舟の中の生き物であり、彼らが生き残るということなのであろう。母と娘の関係は、永遠につながってゆくことの象徴なのであった。
 山村の履歴によれば、1993年29歳のときに妻とともにヤマムラアニメーション有限会社を立ち上げ、10年後の2003年に上記のように『頭山』を発表し、それから約10年後の2011年に『マイブリッジの糸』を完成させている。ほぼ10年ステップで、作品展開の中で、自身の在り方を発展させていることになる。会社を作ったことで社会に足場を作り、『頭山』で自身のオリジナル世界を展開し、『マイブリッジの糸』で自身が家族に支えられていることを示したということである。そしてさらに家族は、ノアの箱舟が暗示するように、神話によっても支えられていたのであった。現代人において、見失われやすいものは、そうした神話といった普遍的な体系に裏打ちされているといった認識なのであろう。

引用文献
Adam, H. 2010 Muybridge and Motion Photograpy. In Adam, H.C. (Ed.): Eadweard Muybridge: The Human and Animal Photographs, Taschen, Köln, pp.6-21.
Braun, M. 2010 Eadweard Muybridge. Reaktion Books, London.
Clegg, B. 2007 The Man Who Stopped Time. Joseph Henry Press, Washington, D.C.
伊藤俊治 1992 寫眞史 朝日出版社、東京
Prodger, P. 2003 Muybridge and the Instaneous Photography Movement. Oxford University Press, New York.
Solnit, R. 2003 River of Shadows: Eadweard Muybridge and the Technological Wild West. Penguin Books, New York.
山村浩二 2011 「山村浩二『マイブリッジの糸』を語る」 日本アニメーション学会インタビュー研究会での講演 2011年8月23日 武蔵野美術大学新宿サテライト教室
横田正夫 2009日韓アニメーションの心理分析―出会い・交わり・閉じこもり.臨川書店






『マイブリッジの糸』公式サイト


Film Collection - National Film Board of Canada - Muybridge's Strings/Les cordes de Muybridge



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