1998年『シカゴ国際児童映画祭』レポート
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「シカゴ児童映画祭」は、長篇劇映画、ドキュメンタリー、アニメーションと、子どもが観客になり得る映画を上映する児童映画祭。アニメーションだけのフェスティバルと違って、いろいろな映像に関わる人々とコミニュケーションできるのが大いに刺激になります。ベルリン映画祭の中にある「キンダー・フィルム・フェスト」を初め、インド、イラン、ニューヨークほか全米各地、カナダ、ウルグアイ、チュニジア、ソウルなど毎年世界中で児童映画祭は開催されています。特徴としては、大人の審査委員とならんで、子ども審査委員があり、賞を子ども達が決めるところです。ベルリンのキンダー・フィルム・フェストの子ども審査委員会は、子ども達自ら運営しているという自立振りです。 『シカゴ国際児童映画祭』は北米最大の児童映画祭で、ファセッツ・マルチ・メディアという民間企業が主催しています。会社の建物の1階にフィルムとビデオ、演劇の3つの小劇場があり、そこがメイン会場になっています。東京の澁谷、ユーロスペースのような所でしょうか。 シカゴ行きには、ひとつ大きな目的がありました。それは、今年の春から電通ITCの依頼で子どもと一緒にアニメーションを作る企画が進行中で、8月、9月と2回こどもの城でワークショップを開いてきました。制作途中のアニメーションを見せて、小学生の子ども達のアイデアを作品に取り入れてアニメーションを完成させていく、という企画です。アニメーションのタイトルは「どっちにする?」。このワークショップの続編をシカゴでもやることにしたのです。シカゴにはワークショップの模様を撮影してきたドキュメンタリー作家の鎌仲ひとみさんも同行。現地でのワークショップを撮影することに。 |
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10月23日 空港では白い鬚のお祖父さんが迎えにきてくれてる。若いイギリス青年と一緒にと車に乗る。アードマンの新人のピーター・ピーク(社長のピーターロードと同じ名前)。運転手のお祖父さんが、渡米前に何度かEメールをかわしたフェスティバル・ディレクターのベッキーのお父さんであることがわかった。娘にたのまれてボランティアしているという。 ホテルに着いて、夜のレセプションに向かう車の運転手が今度はベッキーのお母さん。ファミリーなフェスティバルだ。 レセプションの帰りのイタリア料理店ロシア人でアメリカ在住のアニメーション評論家ミカエルが夜のシカゴを案内してくれる。ヘッドライトが割れていて、プラスティックの苺パックを左右セロハンテープでとめてあり、車内には予備の苺パックが置いてある。 |
10月24日 朝、イランの長編劇映画「ペーパープレーン(紙飛行機)」を見る。豊かな映画。「友だちのうちはどこ?」のアッバス・キアロスタミ監督作品は大好きで、イラン映画の力は知っていたつもりだったが、 改めてイランの映画の技術、映画話法の完成度に驚かされる。今回の大収穫。 午後、短編アニメーションの特集上映。空港でいっしょだった、ピーター・ピークの「ハンム・ドラム」は大いに受ける。切り紙のシルエットが動く影絵パペット・アニメーション。ノルウエーのアニータ・キリ「太陽の娘」が、ユーリ・ノルシュティンそっくりの切り紙アニメーション。あとで聞くとノルウエーでノルシュティンのワークショップを受けて刺激をうけ、初めて作った作品だそうです。 上映の途中でドキュメンタリー撮影のカメラマンとの打ち合わせ。現地でプロを雇うことにしていて、鎌仲さんとカメラマンとワークショップ会場の下見をする。会場が暗いので、撮影用の照明を追加することになる。 10月25日 朝10時から、ワークショップを始める。10歳前後の年令の子ども達7人と、「どっちにする?」ワークショップ。 みんな絵がうまい。日本の子ども達は絵は上手いのですが、色をあまり使わない。まず鉛筆で描き始める。シカゴの子どもたちは、輪郭線から色を使う子が多く、カラフルな絵コンテが出来上がっていく。文化、環境の違いなのか、それとも日本の美術教育の弊害か? ワークショップの模様は、「どっちにする?」プロジェクト全体のレポートの中で、別の機会に詳しく書ければと思っています。 ワークショップと平行してフィルムシアターで、「バベルの本」上映。ワークショップを切上げて、子ども達とみる。 フェステイバル側が「バベルの本」を気に入ってくれていて、15日のオープニング・ガラでの上映を含め、3回も上映してくれた。 上映後、ニューヨーク児童映画祭のフェスティバルディレクターから招待を受ける。 午後4時から受賞発表。「バベルの本」が、大人の審査員が選ぶアニメーション部門の第1位を受賞しました。『シカゴ国際児童映画祭』ではこれで3度目の受賞。子どもの審査員が選ぶアニメーション部門の第1位はピーターの「ハンム・ドラム」が受賞。 2泊3日の慌ただしい旅行で、あまり沢山の作品をみることは出来ませんでしたが、多くの人との出合いが有り、映像作りの視野が広がりました。(山村浩二) |