ついに『カフカ 田舎医者』の劇場公開が始まった。同時上映されている『頭山』『年をとった鰐』『こどもの形而上学』と『カフカ 田舎医者』をいっぺんに観てみると、そこにはある一貫したテーマがあるように感じられるだろう。今回のインタビューは、それを明らかにするための試みである。『カフカ 田舎医者』の上映を、より楽しくみてもらえるためのガイドとなるようなものになっていれば幸いである。なお、インタビュー後編として、Animationsメンバーによる今回の上映についての座談会も後日更新予定。そちらは、クリエイターの方々にとって、かなり有益な話になっている。(土居伸彰)
『 山』から『カフカ 田舎医者』まで

『カフカ 田舎医者』(2007) ⓒ Yamamura Animation / SHOCHIKU
土居
今回の上映で、『頭山』(2002)『年をとった鰐』(2005)『カフカ 田舎医者』(2007)というのは、「不条理三部作」と言われてますけれども。
山村
あれは、おかだえみこさんが川本さんの作品を「不条理三部作」とつけたんだけど、その言葉を川本さんが僕に譲るみたいな話があって、その事を取材で話したからかな。
土居
どの作品も、登場するキャラクターたちは、自分のいる居場所をわかっていない。それが面白くもあったり悲しくもあったりするわけですけど、でも、医者は最終的には気付くわけですよね。
山村
「だまされた、だまされた」と言っているんだけど、でも僕は気付いていないと思うんだよね。彼は永遠に彷徨い続けると思う。そういうふうに描いたつもりなんだけど。
土居
なるほど。ブログにもちょっと書いたんですけど、僕にはどうも『頭山』と『カフカ 田舎医者』がストレートにつながっているという実感があって。『頭山』は最後の最後で世界の構造が崩壊してしまうわけですけれども、『カフカ 田舎医者』の世界は、そのバラバラになった後の世界であるように思えてしまいます。パンフレットのレビューにも書かせてもらいましたけど、『頭山』で主人公は最後、水面を見て、自分の位置を見失います。彼が飛びこんだ後の水面の中の世界が『カフカ 田舎医者』なのではないかと。
山村
確かにもう、『カフカ 田舎医者』の場合は最初から分裂しているなかでの物語なのであって、その外には全然出られないわけなんだよね。物語の中に入ってしまって。
土居
さらに一番最後まで行くと……あれは一番最初と考えてしまっていいわけですよね?
山村
うーんと、そうですね(笑)バラしてもいいか。確かに一番最後のカットは、最初のシーンです。
土居
そうして、僕の言葉でいえば、水面のなかをぐるぐるぐるぐると……
山村
ぐるぐる彷徨っているんですよ。同じような場所を。医者は。
土居
自分の位置が宙吊りになるというか、どこにいるのかわからないようになる感覚というのは、結構ずっと山村さんの問題意識として、フィルモグラフィーの中で最初からあると思われるのですが。具体的には『水棲』(1987)ですけれども……

『水棲』(1987)ⓒ Yamamura Animation
山村
それ以前からも、自分の実感として、そういうものを幼少の頃から感じていたので。それが徐々にアニメーションのなかにかたちになって、テーマじゃないですけど、入り込んできている。
土居
確か山村さんは『頭山』のオリジナルの落語に触れたときにそういうものを感じたとおっしゃっていたと思うのですが。
山村
そこまではっきりと感じていたわけではないですけれども。最初読んだときは、ちょっと嫌な感じがした。わからないんだけど。でも、ずっと残っていたのは、やっぱりひっかかる部分があったってことなのかな。
土居
自分の位置を揺さぶられた体験だったのかな、と。
山村
たぶん普段から感じたり考えたりしたことと近い感覚が、そこにあった。
土居
おそらく、山村さんが原作を選んでいく際のポイントというのもそういうところにあるのだと思うんですよね。
山村
うん。『頭山』だって、ラストの水に落ちるところを、あんなに長くしたというのもあって。僕はあそこが一番描きたかった。途中のギャグのところは重要ではなくて(笑)。
土居
僕もラストにすごく鮮烈な印象を受けました。これはなんだろうと。あそこのラストシーンで、水に飛び込んでいくとき、星空が映りますよね。これは僕の個人的な実感なのですが、例えば山の上などに行って、すごく大きい夜空をみてしまうと、とても怖い気持ちになるわけですね。まさに居場所を失わせるような、すごく大きな世界を味わった気がして。星空が入っているというのは、そういうようなことがありますか。
山村
えーっと、実はありますね(笑)。あのー、これも話してしまいますが、子どもの頃に見た夢が、あそこには入っていて。宇宙の果てにいるんですよ。星空の空間のなかに、チューブがずーっと伸びていたその宇宙の一番端っこの星空に自分がいる夢を、何度も何度も見て。その不安定さや恐怖の感覚が、ラストの星には込められていて。まあ、一応、物語の必然性として、花火が上がって、夜空があって、頭のてっぺんに来たから、当然星が見える。そういうふうにはつなげてあるんだけど。で、そこに飛び込んでいったので、星が映り込むという必然性があるのだけども。自分の夢の恐怖の感覚は生きている。

『頭山』(2002) ⓒ Yamamura Animation
土居
では、最初が昼であって、最後が夜であって、最初に鏡を見て、最後に水面を見るっていうのは……
山村
対になってます。
土居
こういっていいのかわからないけれど、内面の世界に向かっている。
山村
そう。
土居
当たり前と思われていたものが揺さぶられていく世界。
山村
そうです。一番根源の部分で、知ってしまうとものすごく怖いものに触れかかっているのが、ラスト。で、出だしは日常レベルで自分を認識するために鏡を使っています。

『頭山』(2002) ⓒ Yamamura Animation
土居
そういった話を聞いていると、『カフカ 田舎医者』の最初のアフォリズムが頭のなかをぐるぐる回ります。本当の道は、「歩かせるというよりむしろ、つまずかせる為のものの様に見える」。
山村
(笑)あれは半分ジョークなんだけどね。もちろんガイドの意味もあるけど。
土居
『頭山』のラストというのは、まさにその「つまずかせる」感覚というものを体験させるものです。どこにいるのかわからない状態が開けて、それに気付いたときにはもう「取り返しのつかないことになる」。『頭山』と『カフカ 田舎医者』というのは、そうやって僕のなかではガシッとつながるのですけれども。
山村
僕自身は、今の土居くんの読みと、カフカ自身が込めている感じとは、少しズレがあると思っていて。カフカは、『田舎医者』やあのアフォリズムにしても、カフカはすごく臆病なところがある。僕はそうじゃないんだけど。カフカは優柔不断で、婚約を二度破棄したり、人生を決定づけない戸惑い、踏み出せない、踏み出したら最後転落する、そういう恐怖をずっと持っていて。『判決』だっけ、お父さんに死刑を言い渡されるやつ。あと、『田舎医者』の前身の様なもっと短い話もあって、ただ隣村に行くことができないというのを延々と書いているものがある。一歩踏み出したら終わりだという。たぶん、リアルなところに踏み込む恐怖というのをすごく抱えた作家だったのかな、カフカは。その点、不安というものの捉え方で、(カフカと僕とは)ちょっとズレがある。
グェン
でも、『田舎医者』をアニメーション化する際の必然性というのがあるわけですね。
山村
特に『田舎医者』は、すごく存在を揺さぶられる部分というところがある。医者には最初からずっと居場所がない。で、あとはなんだろう、医者はすごく主体的に医者の義務として患者を診なければいけないと言っていながら実はその義務を果たすこともないし果たす気もない。実際、村人たちになすがままにされていて、自分の運命を自分で決めることができない。そういった実感の部分が自分としてもある。つまり、創作活動というのは非常に自発的なことなんだけど、経済的な部分や社会的な部分で実現できなかったりもする。自分自身の力量の問題もあったりもするけど。そういう実感として、このストーリーは響くところがある。あとこれは、芸術について描いた話だなと思うところがあって。少年のおなかの傷を「美しい花」というのは、もちろんローザと花をかけたセクシャルなものだとも読めると思うんだけど、カフカ自身が抱いている美の象徴だからということもあると思う。あるときには傷にもなりうるという。社会的にみたらダメだったりするそういった「傷」の部分について描いているのも、ものをつくっている人間として共感できる部分だったんだよね。
土居
山村さんが好きなプリート・パルンの『草上の朝食』(1988)やユーリー・ノルシュテインの『話の話』(1979)もやはり、ものをつくることについての話ですね。
山村
そういうところがあるね。フェリーニの『8 1/2』(1963)もそうだけど。主体的につくろうとするのだけど、それが思い通りにいかないというジレンマ。『草上の朝食』なら、社会主義の体制のなかで、つくろうと思ってもつくれない。
土居
経済的な制約についていえば、今回は松竹さんとの幸福な関係性がありましたね。
山村
そうですね。
土居
ほんとにノーチェックだったんですか。
山村
そうですね。ゼロです。一応絵コンテは、ほぼ完成した段階で、コピーはとってたけど。とってるだけだったから(笑)。契約書にただ「30分くらい」って書いてあるだけで(笑)。まあ、「30分にはならないと思いますけど、20分は超えますよ」とは言っていてました。唯一、公開までのおおまかなタイム・スケジュールがあって、そのための締切があったくらいで。

『カフカ 田舎医者』(2007) ⓒ Yamamura Animation / SHOCHIKU
土居
すると、外からの拘束というのは今回が一番なかったと。
山村
そうですね。だから、『頭山』や『鰐』と同じで、自主制作でつくっている感覚。でも当然、制作費を出してもらえているので、その間は仕事を受けずに集中できる。よりのめり込めた。
土居
のめり込めた方がやはりいいんですか。
山村
いいですね。それしか考えなくていいという頭になった方が、面白い作品ができますね。
土居
最後の方はだいぶ、精神的に辛かったそうですが。
山村
独り言が多くなって自分で怖くなった(笑)。締切のストレスがやはり一番大きかったと思うんだけど。一人で怒ってるんだよね。
和田
でも普段からあるものですよね、独り言は。(一同笑) 2 >
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