そういえば、仲睦まじい夫婦に除け者にされそれでも彼らを邪魔しつづけていたあの子供は、一体なにを求めていただろうか。彼は必死になって、インターネットへの接続を試みていた。リンクだらけのその場所に自分もまたつながろうとするためか。パスワードを要求された彼は、それを計算によって導きだす。答えは「A+B」。しかし入力してもなぜかはじかれる。それでは「A」? 違う。「B」? これも違う。残る候補は「+」のみ。そしてそれが正解だ。
「+」の世界、それはヴァーチャル娼婦オーケイ・シスターズ(彼女たちはCDをリリースしたポップ・アイコンでもある)が住む、AやBといった実体の排除された、つながりのみが純粋に浮遊する世界だ。シスターズは道行く客たちをつなぎとめようと、自らをディスプレーして引き寄せる。客に選ばれなかった方は悲しげにマフラーを編みつづけ、そのマフラーは後に子供をその寂しげな電脳空間へと無理矢理に引きずり込むことになるだろう。
『ガブリエラ・フェッリなしの人生』
「A」か「B」か。勝とうとする人々にとっては、そのどちらかだけを選ぶことが重要だ。意味があるのかどうかわからない謎めいた儀式を盗み見させる指の多すぎる男は、「A」こそが求める答えだと知る。実際には「B」なのに。陰謀と利益によってのみつながれた人々は、「A」と「B」をめぐってあいまいに連関しあっていく。結局正解の「B」は伝わるのだが、それもまた偶然であり、正解を書いた紙ではなく靴底のメーカーのタグをミスリードしたせいだ。
その正解はLOSERを生み出し、彼はその後自殺を試みることになる。謎の儀式によって盲目にさせられた男は、公共の電波に向けて「LIFE IS NICE」と吹き込む。それを真に受けたのか、それともそれが吹き込まれたものであること自体を意識していないのか、「LIFE IS NICE」とつぶやきながら健康的なジョギングに励む男もいる。彼はLOSERの自殺を食い止めようと、どこからか手渡された(ほんとにどこからだろう?)拡声器を使って「LIFE IS NICE」と叫んで説得する。しかし彼の胸には、誰かに(誰だろう?)に撃たれて落下した鳥の嘴が貫通する。LOSERは投身を思いとどまるが、「LIFE IS NICE」だと確信したからでないことは確かだ。「+」というつながりを欠いた人々のあいだで、ミスリードはどんどんと続いていく。
指を切られる人々もいて、脚を切られる虫や鳥もいる。「A+B」が重要だということはわかってはいるのだが、でも、成立しない。抵抗はありえない、ということか。
『ガブリエラ・フェッリなしの人生』
しかし、この作品のラストが与える、あの名状しがたい感覚。パルンの作品は基本的に、現状(もしくは人間の普遍性・不変性)への気付きを与え、つまりirresistibleなものを剥き出しにして終わるので、唖然とさせられたり、ときには絶望的な気分にさせられてしまうこともある。しかし今回は、必ずしもそうではないような気もする。あることへの気付きが必ずしも、絶望につながらないような気がする。実際、『ガブリエラ・フェッリ〜』は、パルン史上最も希望に溢れた作品だ。(あくまでパルン史上の話だが……)
『ガブリエラ・フェッリなしの人生』
作品の冒頭で、投水自殺を試みた人がいる。若い女が、両方の手のひらに「A」と「B」を書き、「B」の手を閉じて橋から飛び降りるのだ。しかし、彼女は死ななかった。彼女は逆に、与える人になろうと決意したかのように、「希望を失った人の遺失物取扱所Lost Hope Lost-Property Office」を立ち上げる。この作品で唯一、利己的ではないかたちで、他者に眼差しを向ける存在である彼女は、神々しいまでに軽やかなメロディーに乗って、Some Exercises for an Independent Lifeの子供を思わせる天真爛漫な動き方をしながら、遺失物を回収し、必要な人たちに分け与え、あるべきところに返す。LOSERにアイスクリームを与え(結局その努力は無駄に終わるのだが)、一方で、ベランダから部屋に戻ろうと壁を伝うあの夫がこれ以上なにかを失うことがないように、光を放って彼を導きもする。その軽やかな動きは、彼に伝染しさえする。必ずしも素晴らしい結果をもたらすわけではないにせよ、伝わることは伝わっている。終盤、遺失物取扱所に最後に残されたのはブラジャー。34Bと書いてある。サイズを意味していそうなその数字は、偶然にも男の部屋の番号。彼女はビルを登り、ベランダのガラスを割って(かつて男が決して越えられなかったあの透明な障壁だ)、彼の家に無理矢理押し入る。妻との別れに呆然としながら、手首にナイフをあてつづける男に彼女が届けたのはHAND。彼女はかつて「B」と書かれていたはずの自分の手のひらに男を吸い寄せる。そんな父親たちの姿を見てまたしても苛立つ子供の両手のギプスは割れ、彼がそこに見いだすのは、すらりと伸びた四本の指。
『ガブリエラ・フェッリなしの人生』
ギプスの下に眠っていた自らのHANDを発見する子供。四本指が何かをがしりと掴むためには二本の手が必要となる。自分が一本の手を持っているとして、もう一本の手を必ず見つけられるわけではない。たとえそれを見つけて掴んだところで、そのつながりは、いつか必ずやってくる強力な五本指の力にかかってしまえば簡単に離れてしまうような、とても脆弱なつながりだ。それでもこのHANDは、掴む可能性だけは持っている。「A+B」の可能性くらいはあるのだと認識すること。それは、抵抗というにはあまりに不確かで弱々しい抵抗。でも、つながりをめぐるこの物語においては、最も誠実な、ハッピーエンドのようなもの。「LIFE IS NICE」と叫ぶまではできないだろうが、少しのあいだ実感するくらいなら。

※Laputa International Animation Festival vol.9にて公開中(2009年4月11日まで)
作品DATA
『ガブリエラ・フェリなしの人生』(『ガブリエラ・フェッリのいない生活』)
Life Without Gabriella Ferri (2008/ 43'")
監督:プリート・パルン&オリガ・パルン(Priit Pärn & Olga Pärn)
○DVDなどの情報
Pärnography[Apollo.ee]
→プリート・パルンのドキュメンタリー映画(監督:Hardi Volmer)のDVD。英語字幕付き。
Black Ceiling[Apollo.ee]
→ヨーニスフィルム所属監督によるエストニア詩のオムニバス・アニメーション(DVD)。ヤンノ・ポルドマ、カスパル・ヤンシス、ヘイキ・エルニッツ、ウロ・ピッコフ、プリート・テンダー、プリート・パルン&オリガ・マルチェンコ、マッティ・キュットが参加。
Priit Pärn[Apollo.ee]
→パルンの木炭画の個展カタログ。英語による解説文あり。おすすめです。
Pärnograafia: Priit Pärna joonistusi 1964-2006[Apollo.ee]
→パルンの画集。風刺画、絵画、木炭画、アニメーションの素材などなど、充実の内容。ただしすべてエストニア語。でもパラパラめくるだけでも刺激的。
Tagurpidi[Apollo.ee]
→パルンの絵本(?)。エストニア語だが、言葉がわからないことが相乗効果となりうるような狂った世界。これもまた、パラパラめくるだけで楽しい。『おとぎ話』とあわせて、お子さんの情操教育にどうぞ。
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