ブリエラ・フェッリなしの人生
Animations座談会9 < 1 2 3 >

ラピュタ国際アニメーションフェスティバルがエストニア特集をやる、という噂を耳にしたのと同じころ、プリート・パルンもまた久しぶりの新作『ガブリエラ・フェッリなしの人生』を発表しました。そしてなんと、フェスティバルの枠内とはいえ、『ガブリエラ』が新作劇場公開のようなかたちで上映されることとなったわけです。これはAnimationsとしても連動しないわけにいかない、ということで、今回のエストニア特集実現のために尽力なさった、ラピュタ国際アニメーションフェスティバル事務局の古屋志乃さんをゲストにお迎えして、『ガブリエラ』についての座談会を開催することにしました。先日アップしたレビューとあわせてお楽しみください。
なお、この座談会にはかなりのネタばれが含まれています。作品を一回ご覧になってからお読みになることをおすすめします。(土居伸彰)






山村
今日の座談会は、プリート・パルンの新作『ガブリエラ・フェッリなしの人生』に焦点を当てます。今、ラピュタでエストニア特集をやっていて、エストニアのアニメーションを一望できるような機会なんですけど、その中でパルンの新作が上映されています。この座談会は、せっかくの機会だからAnimationsとしてリアルタイムで反応したい、という土居くんからの企画です。

土居
ゲストとして、フェスティバル事務局から古屋志乃さんに来ていただきました。

古屋
今日はどうもよろしくお願いします。私は、ラピュタ阿佐ヶ谷という映画館が主催しているラピュタ国際アニメーションフェスティバルの事務局の者で、今回、プログラムを組ませていただきました。

山村
ラピュタではずっと、ノルシュテインさんを中心にロシア近辺のものをやってましたけど、今回エストニアで特集を組むことにしたきっかけは? 以前もエストニアのプログラムはありましたけど。

古屋
そうですね。2006年から、1プログラムか2プログラムというかたちで、エストニアの作品は紹介していました。2008年、去年のプログラムを組むときに、エストニアの作品を、いままでよりもう少し紹介したいという思いがあったんですけど、手間ひまの関係で出来なくて。今回はちょうど、クリス・ロビンソンさんのエストニアの本(Chris Robinson, "Estonian Animation: Between Genius & Utter Illiteracy"[Amazon])を見つけて、どうやらもっとエストニアの作品があるらしい、という情報を手に入れまして。それで今回、大規模にエストニアの作品で、というふうに考えて組ませていただきました。

山村
なるほど。じゃあ今回、フェスティバルの根底にはクリスさんの本があるわけですね。

古屋
そうですね。

山村
オタワの1998年かな、エストニア特集があって、パルンはじめ、ラオ[・ハイドメッツ]さん、マッティ[・キュット]さん、ヤンノ[・ポルドマ]さん、ヘイキ[・エルニッツ]さんなどが来て。そのあとたぶん世界的にも初めて、オタワがエストニアのアニメーションのVHSを4本組で出して。僕もずーっと、まだタリンフィルムの頃から、エストニアのアニメーションに影響を受けてきて、20年以上、エストニア、エストニアと言っていたんですけれども、やっとこういうかたちで日本で紹介されたので嬉しいです。

古屋
米正万也さんにも、電話で「どういう作品がいいでしょう」と相談していて、それがおととしくらいで、「私はロッテシリーズ[注:ヤンノ・ポルドマとヘイキ・エルニッツが共同で監督している長編シリーズ]がおすすめよ」っておっしゃっていて。ただ、ロッテは字幕を付けないと難しいかな、ということで今回は無しになったんですが。今回、一年半かかったんですけど、字幕もつけて上映にこぎつけることができたので、私としては感無量です。

土居
そうすると、良いタイミングでパルンの新作も出来てくるっていう。

山村
フェスティバルの準備もあって、アニメーテッド・ドリーム[注:エストニアの国際アニメーション映画祭。『ガブリエラ』は2008年のグランプリを獲得している。]にも行かれたってことですよね。

古屋
はい。エストニアの作品を紹介するのと、あと、エストニアっていう国が、まだ日本であまり知られていないっていうのもあって、国の文化もひっくるめて紹介しようじゃないか、というふうにどんどんと話が膨らんでいったのもあるんですけど(笑)。現地の様子も、カタログとかチラシとかで紹介、というのもあったんですけど……はい(笑)。

山村
なかなか難しいと(笑)。

古屋
フェスティバルについていえば、若い女性たちが中心になって運営をしていて、ディレクターのヘイリカ・ピッコフさん[注:ウロ・ピッコフの奥さん]に「日本でエストニアのアニメーションを紹介したい」とお話ししたところ、「有名な人もいいけど、若い人もいいわよ」と言われて、それで学生プログラムをひとつ、そのままラピュタでも上映することになりました。観客には若い学生が多くて、『ガブリエラ』の上映後の反応というのは見えづらかったです。個人的には、短篇のコンペのなかでは明らかに異質な感じがしました。尺の長さも関係しているかもしれません。私や真賀里文子さんは「すごいぞ」と興奮してしまいました。


ルン・イズ・バック



山村
なるほど、じゃあ作品の中身について話しましょうか。今日も座談会があるということでその前に見直して、個人的にはやっぱり泣きそうになってしまったんですけど。

土居
観るのは何回目くらいでしたか?

山村
まだ三回目くらいですね。やっぱりこの作品、一回じゃわからないですね。でも、今までの作品に比べてわかりやすいと思いますけどね。ストーリーが掴みやすいというか。以前のは、ストーリーもはぐらかされるし、どこに突っ込んでいいのやら、という。今回はとっても練られているという感じがします。複雑だけど、削ぎ落とされているというか。だから一回じゃなかなかわからないけど、ストーリーという面では二回観るとかなり掴めてくるんじゃないかな。

土居
物語がこんなに明確にあるのも……

山村
はじめてかもしれないですね。

土居
パルンの作品は基本的に、図式というか対立構造があって、そのあいだでごちゃごちゃといろいろな展開があるというかたちなんですけど、今回は尺の問題もあるのかもしれないですけど、物語になっている。
今回、フェスティバルのカタログに載っているインタビューと、あと、エストニアで出ているパルンの木炭画の展覧会カタログの解説を読んで、パルンを語る上で重要なテーマをいくつか見つけました。一つは、レビューにも書いたんですけど、パルンの有名の言葉ですね。僕はぜんぜん知らなかったんですけど(笑)。「ユーモアは弱者の慰めである」という強烈な発言。前回の座談会で、僕はずっと「パルンは笑えない」ってずっと言っていたのですが、その理由も、ここらへんにあるのなあ、と思いました。どういうことかといえば、パルンのユーモアというのは基本的に、ある個人がいて、その個人が全体の中でどうも太刀打ちできない状況に入り込んでしまったときに発動するものらしいと。僕の実感としては、そういったユーモアのあり方がうまく出ているのが、『ホテルE』や『草上の朝食』だったのですが、『ガブリエラ』は久々にそういう作品だと思いました。僕の印象のなかではどうも、『カール・アンド・マリリン』や『ニンジンたちの夜』は、パルンが傍観者として振る舞っているような気がしてしまっていました。パルンは基本的に、クリシェをすごくたくさん使う作家なんですけど、それがほんとにクリシェになったままのような気がしたんです。でも、昔の作品や今回の作品は、パルン自身がそこに巻き込まれている。すごく切実なものを感じて、パルンが帰ってきたな、と思いました。

山村
僕も今回、80年代と『ホテルE』までかな、そのパルンの語り口っていうのが、またちょっと違うんだけども、土居くんが言うように、手応えとして感じとれて。逆に、作家論的には、そのあいだにある作品にはどうして[作家と作品のあいだに]こんな距離が出来てしまっていたのかっていうのが気になるところですけどね。わからないけど、ソ連の崩壊とかそういうのも関係しているんですかね。『カール・アンド・マリリン』を社会主義の時代に作っていたら全然違っていたと思うし、『ニンジンたちの夜』もそうですよね。ある意味、平和になった後に作っているから、やっぱり自分のリアルな感覚から距離がとられすぎちゃってるのかなって。今回のはたぶん、自分でもインタビューで言っているように、自分自身の人生とすごく重なっているところがあって、その点でも、作品としてのちゃんとした手応えみたいなものが明確にあるんだろうな、っていう。

土居
座談会なのでぶっちゃけた話もすれば、やはり今回の作品は、パルンさんの人生のなかでの大きな出来事を明らかに思わせるわけじゃないですか。前の奥さんが亡くなって、新しい奥さんと再婚したっていう。その事実を知っていると、一回目でもすぐにぽーんと入ってくる作品ですよね。でももちろん、そういうのを知らなくてももちろん楽しめる作品ではあるんですが。

山村
パルンさん自身を知らなくても当然面白いはずですけど、僕もかなりいろんなところでパルンさんと接しているので。実は亡くなられた前の奥さんにも、前回エストニアに行ったときにお目にかかっていて。昔の奥さんの状況を知っているので、個人的にはどうしてもそういうことが頭に入ってしまっていて、そういう理由もあって、ラストはどうしても泣いちゃうんですよね。明らかに、奥さんがあちらの世界に連れ去られていくので。ダイレクトすぎるくらいに人生を反映している。この作品をどこから発想したのかな、っていうことを考えていて、やはり人生のいろんな出来事からだったと思うんですけど、これもしかしたら本当に、前の奥さんが亡くなったあとに、あのCD[注:ガブリエラ・フェッリのCD]がなくなってたんじゃないかと。身辺整理をしていたら中身がなくて。そこから思いついたんじゃないかと想像しちゃうんですよね。

土居
なるほど。でもそれは結構しっくりきますよね。そういう唖然とした感じが色濃いんですよね。

山村
古屋さんにはオリガさんの印象を是非教えていただきたいんですけど。僕はまだ面識がないので 。

古屋
そうですね、アニメーテッド・ドリームのフェスティバル会場では、パルンさんとオリガさんはいつもいっしょにいらっしゃっていて、私は最終日までずっと娘さんだと信じて疑わなかったので、実は奥様だと知って本当にびっくりしました(笑)。[訳注:オリガ・パルン(マルチェンコ)は1976年生まれで、一方プリート・パルンは1946年生まれ。]とにかく仲良しで……インタビュー中も、オリガさんが退屈しないように気遣っていた(俗っぽく言えばいちゃちゃしてたんですが)のが印象的でした。オリガさん自身は、パルンさんの横で静かに話しを聞いているという感じで、あまり口数が多くはなかったんですけど。

山村
でもアニメーテッド・ドリームではDJされてたんですよね(笑)。はじけるときははじけるっていう。

古屋
音楽はすごい好きみたいで。今回の作品のなかでも、音が結構良いと私は思っていて。音楽とか、効果音とか、すごく洗練された印象があって。それもオリガさんの影響なのかな、ともちらっと思いました。

土居
オリガさんはベラルーシ生まれで、ベラルーシのベラルスフィルムで働いたあと、フランスの「ラ・パウドリール」というアニメーションの学校に行っていて、その時期にパルンさんと出会ったっていう。

山村
物語上だと、前の奥さんが連れ去られる前に出会っていますけど(笑)。どうなんでしょうね、インタビューを読むと、亡くなられている前に出会われているような。パリのワークショップの時期がわからないですけど。

土居
作品が人生をモロに反映しているとすれば、亡くなる前からパルンさんを励ましていたことになりますね。

山村
手の光の交流があったのかなと。実際には村上春樹の本だったみたいですけど。 2 >


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