ブリエラ・フェッリなしの人生
Animations座談会9 < 1 2 3 >



きで語る、動きが語る


土居
作品のなかのあの若い女の子の表現が僕はかなり好きで。

山村
『Some Exercises for an Independent Life』っぽいて書いてたやつね。僕は他にもあるなと思って。『1895』の南の島の国の人の動きもそう。だから、パルンさんが自由を表現するときのアニメートの感じがあれ。

土居
ああいうやり方を物語のなかにきちんと投入して機能させていくのがすごいなと。

山村
インタビューでパルンさん本人も「動画で語りたい」と言っていたけれど、今回は両方うまくいっていると思うんですよね。脚本としてのストーリーもよくできているので。土居くんみたいに物語をテクストとして分析することもできるし、動きという感覚的なもので訴えかけてくるところもかなりある。出だしのところのキッチンの夫婦の魚の切り合いなんてただただおかしくて。

土居
『トライアングル』もちょっと思い出させますね。

山村
動きのタイミングも絶妙というか面白い。魚がどんどん切れてるんだけどまた戻ったりとか(笑)。あのへん、まあ、触覚的な部分もすごく強調してて。男の手の毛のざらざらしたのと女性の肌とナイフと魚のウロコの質感をどんどん対比させながら。あそこはすごく肉感的な感じがする。

 
『ガブリエラ・フェッリなしの人生』


古屋
すごく抽象的ですけど、動きの重量感と軽さが気持ちよかったです。重さを感じるものと、軽く動いていくもののバランス。

土居
動きの質を変えることでリズムが生まれてくるというか。最初の部分だったら、夫婦と魚の濃厚な部分に、急にポーンと子供が来たり、若い女の子の動きもそうですし。いろんな動きが。動きに肉感的な感じが戻ってきたのは、『ガブリエラ』の前の『ブラック・シーリング』[注:ヨーニスフィルム制作のオムニバス・アニメーション。エストニア詩人の詩をアニメーション化したもの。ラピュタフェスでも上映。]でパルンさんが担当した「I Feel a Lifelong Bullet in the Back of My Head」だと思います。木炭画の。あれを観て、「この感覚、久しぶりだ」という感じがしました。『ブラック・シーリング』の動画は、たぶんパルン夫妻が自分たちでやっているんでしょうね。あの手法だとそうするしかないんでしょうし。

山村
そうだと思いますね。

土居
『ガブリエラ』はどうなんでしょう?

山村
前に話したときは、原画とか動画は自分ではやらないって言ってたんだよね。

土居
じゃあなんであんなのができるんだっていう(笑)。

山村
もう気心が知れてるからなのかなと。今回も中割りは15人から17人みたいだけど。やっぱりうまいというか。でもエストニアのアニメーションが似た印象なのは、同じ中割りの人がやってるからかも。動きの感じが。

土居
本人たちには変なことをやっているっていう感覚があるんですかね。

山村
それはもうあえてやっていると思うよ。インタビューでも、おかしなことをしていること自体がひとつのメッセージなのだ、って言っているけど。わざとぶっとんだことをやって、わざとふざけるというか。そういった狙いがずっとあったんだなって。

土居
異質なものであること自体がメッセージという。クリス・ロビンソンの本を読んでも、『Is the Earth Round?』を作ったとき、ヒトルークやレイン・ラーマットが「なんじゃこれ」とびっくりしてしまうくらいに汚いものを作ったりとか。パルンの作品は基本的に、観客に対して、異質なものへの気付きを与えるようなところがあります。


ョックの受け止め方、噛みしめ方


古屋
『ガブリエラ』はエストニアで初めて観たんですけど、衝撃っていう二文字。尺が43分なんですけど、もっと長い時間を感じたというか。「濃い」っていう感じ。

山村
僕は濃い分、短く感じた。普通、40分のアニメーションなんてしんどいよね。だけどこれは、密度があって、面白いから10分か20分くらいのものを観たくらいの感じがした。

土居
複数回観ても全然長いと思わないですね。[パルンさんの]
インタビューのなかでも、「これを実写映画でやったら二時間半かかる」という話をしていて。確かにあのラストシーンの余韻というのは、二時間、三時間の映画を見終わったときのような。すごくドーンとくるんですよね。
今回、リアルタイムでパルンの新作を観るっていう経験が初めてだったのですが、とてもショックを受けました。『ガブリエラ』って本当に「今」の作品だと感じたんですよ。それって、短篇アニメーション界ではあまりない。どちらかというと超時間的で、良い意味でも悪い意味でも超越的な作品が多いなかで、パルンには俗っぽさもすごくあって、今、この時代に作られたものなんだな、っていうのをすごく感じる。でももちろん、普遍的なものにもつながっている。その両方がある作品っていうのは
……

山村
意外と少ないよね。僕がパルンの作品と出会ったころというのは、彼は本当に知られざる作家で、情報もほとんどなくて、単に、知らない国の知らない人がすごいことをやってるんだ、っていう。まだきっと短篇アニメーションにはそういう世界が広がっているんだろうなって思わせてくれる作家だったんですよね。やはり最初から衝撃でしたね。僕のなかでは。

古屋
一回目は衝撃っていう感じがしたんですけど、二回目はまた別の印象が。作品を二回目にしてやっと受け止められる感じが。

土居
最初は「なんだこりゃ」って感じになるんですけど、そのショックを噛みしめていくと、どんどんいろいろなことがわかっていくという。作品としてすごく理想的なあり方。

山村
良いあり方ですよね。メッセージを押し付けたくないと本人も言ってたけれど、裏に流れているものよりも、表に出ているものを大事にしているというか。裏に流れているものだけを描くとすれば、本当にただ俗っぽいものになってしまうのに、そのところが本当にクリエイティブだと思うんですよね。謙虚だとも思うし。なにかを押し付けるのではなく、単に感覚的なだけでもなく、読み取るやり方をこちらに委ねているところが。

土居
受容の過程で、観客としてはもちろんある程度の努力が求められるんですけど、その努力にきちんと応えてくれる。観客としても、描かれていることをきちんと自分で実感できる。本当に何度も何度も反芻しちゃいますし。



エストニアで出版されているパルンの画集の裏表紙には、パルンの顔が大きく印刷されている。

隣の世界

山村
主人公が窓にぶら下がって覗いているお隣さんの世界がやっぱり大好き。パルンらしい。

土居
なに考えてるんだって感じの。

山村
昔のはお隣さんの世界だけだったよね。『草上の朝食』とか。

土居
僕もあのお隣さんの世界については、レビューを書いたあとでもちょっと咀嚼しきれていないかもしれません。

 
『ガブリエラ・フェッリなしの人生』


山村
僕はDVDの利点を活かして早送りで何度も(笑)。でもあれも、ごちゃごちゃ訳の分からない事をやってるようで、ものすごく整理されてるんですよ。キャラクターの顔がみんな似てるから、2〜3回観てもどっちがどの人だっけってなっちゃうけど
(笑) 

土居
そうそう(笑)

山村
指が多い書記官以外はあ
あれも同じ顔してるんだけど(笑)。お隣さんがそのまたお隣さんを覗いてて。始めの部屋には、書記官と覗いてる人、あと寝袋に眠ってる特殊工作員みたいな男の3人。覗かれているその隣の部屋にはリーダーみたいなのとロッカーの中に隠れてる4人と、2人の博士がいる。合計10人出てくるんだよね、同じような顔の人が。その関係がごっちゃごちゃになるから最初観るとわけ分かんない。(笑)

土居
あそこの部屋を出た後もちょっとどうなってるかよくわかんなくて
……

山村
でも多分5回くらい観れば理解出来ると思う(笑)。どの人が何をやろうとしてるのかって。本当によく考え抜いているのに、でも突出してくるのは行動の奇妙な部分だけがばっと目に入って来るから、そこがすごいよね。 3 >


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