トロフの理想
Animations座談会4 < 1 2 3 4 >

トロフはなぜ評価されるか

山村
でもねぇ、これ原画見たけど、原画見るとほんとうまいなぁって思うね。

イラン
絵画としてのうまさって、さっき話にでたんだけども、何と言うべきなんだろう……
別に何か油絵において独自の何かをやってるわけじゃないですね。

山村
本当に絵の部分でだけ言えば、ちょっと古いというか、今の美術界では評価されにくい(笑)。

イラン
それもそうかもしれない……つまりこれは、写実的リアリズムというしかないです。

山村
えぇ、そうですね。

イラン
それが今の状況では通用しなくなっているというか。

山村
まぁ逆の問題、美術界の問題というのもありますけどね、確かに。

土居
それがアニメーション界ではバリバリ通用してしまっているっていうのは、どうなんでしょう……

山村
それはね、でも感じてるんだと思うんだよね。この間、ジェーン・ピリングさんっていう評論家の女性も、アニメーションの評論が成立してないからペトロフが受け入れられているという部分もあると言っていたので。

イラン
そういう意味では、非常に俗っぽいというか…

山村
えぇ。評価はうけてますよね。アカデミー賞にいきなり『雌牛』からノミネートされて、『水の精』もノミネートされてるし。

イラン
ええ。最初の2作では、止まった絵でもやっぱり面白いものはあるんです。

山村
面白味ありますよね。(それぞれのDVDジャケットの絵を見比べて)こっちの絵を見ても、この雌牛などもとってもいいんだよね。叙情性みたいなのもすごくあって。

大山
何でこうなっちゃうんだろうなぁ。大きさが全然違ったりするんですかねぇ?

イラン
アイマックスで作った映像は全然違うでしょうね。

山村
うん、こっちはガラス板も大きいんだろうけど、でもその問題ではない……あ、でもその問題もあるのかなぁ……

イラン
精密さや光量などで、必然的にこんな明るい色になってしまったんのではないかな。

大山
何かもうこっち(『雌牛』)とかは指の跡とかがはっきりわかったりしますけど、(『老人と海』では)まったくそういうのが無くなってきてますよね。

土居
作りだしてる感じは消えますよね。

イラン
あと(『おかしな男の夢』の)この暗闇の中での顔が際立って出るというインパクトは、もう全然違いますよね。

荒井
緊張感が全然違う。


『おかしな男の夢』(1992)


『老人と海』(1999)

土居
何か素材感が消えて、ある意味セルアニメーション的に平坦なものになってきてる感じがするんですけどねぇ。アニメーションってコマを進んでいく快感みたいなのは、絶対に必要だと思うんです。

イラン
同じ技法を使っている他の作家と比べて、どうでしょう?

土居
僕はこのペトロフの作品とキャロライン・リーフと比べると、ほんとにリーフの画面の息づいてる感じがすごいと思います。『春のめざめ』だと冒頭からもう死んだ感じがすごくあって。

山村
油絵っていう点でいうと、あとハンガリーのヨーゼフ・ギーメッシュがありますけど、うーん……ギーメッシュも実はペトロフと近い問題点を持ってるかも。ちょっと19世紀的なとこから抜け出せていない作家かなっていう部分もある。数回見ただけなので、あんまりよくは知らないんですけど。……あと誰がいましたっけ? まぁ何人かあまり知られていない作家で、この技法を使ってる人はいて…… あと、ウェンディ・ティルビーもそうですけどね。

イラン
今の話の流れで思い出したが、やはり実写との関係が決定的ではないか。被写体になる実際のものからの転換という過程がやっぱり、だんだん無くなってしまう。

山村
そう。だから『水の精』まではまだその魅力があって、動きに関しては。画力のなかで動かしている凄みっていうのがあるんだけど。『春のめざめ』になるとまったくそれはないよね。本当にただビデオにエフェクトかけても同じじゃないっていうような動きに、ちょっとなっちゃってるかなぁ。タイミングを作り出すというとこでも魅力ないし。

イラン
画力以外はアニメーションとしての特性はまったくなく……

山村
無くなってしまってますよねぇ。この技法のことでちょっと言っておくと、画面の陰影とかを自由にコントロールできる部分と、一コマずつ先が見えないままにやるというぎこちなさの両方が入るものですね。ウェンディ・ティルビーはそのぎこちなさを味の方にもっていって、魅力につなげていると思うんだけど。ペトロフはもうそれを自分の画力で押さえ込んでしまっている。

土居
ディズニーが長編つくりはじめた頃と同じようなことになっているような。実写のガイドを使ったことや、線のブレを徹底的に消していったことが。

山村
滑らかな動きっていう方向ですよね。

土居
『春のめざめ』のDVDの特典映像とかをみても、商業スタジオで行われていることとあまり変わらないという印象がありましたし……まあ、しょうがないんですかね。

イラン
それが一番ひどいものの言い方かもしれない(一同笑)。

大山
逆に、この技法でやりながら、つまらなく思えるほどに滑らかに描けているのがすごいんだよね。

土居
そうですね。

山村
『水の精』まではまだそのすごみがあった。創造性が。

イラン
それ以降は動きの創造性とは違う方向にいってしまった、と。

写映画的な作品

土居
大山さん、昔「ペトロフ・エフェクト」みたいな言葉使ってませんでしたっけ。

大山
「ペトロフ・エフェクト」っていう響きにすごく聞き覚えがある……なんだっけ……

山村
「ペトロフ・エフェクトをかけた映像として観てもこれは面白いか」という問題提起をしてた。

大山
ああー、そうだ。去年の広島で(東京造形大学の)後輩たちがみんな「『春のめざめ』が一番良かった」って言ってたのを聞いて、仮にあれが実写の映像にエフェクトをかけたものだって言われても同じ評価かと聞いたんです。『春のめざめ』が、エフェクトだったと聞いて、みんなが「なーんだ」と思ってしまうんだったら、それは面白いのとは違うよ、ただ技術に圧倒されているだけだよ、っていうことを後輩に言いました。僕は(コヴァリョフの)『ミルク』(2005)がすごく好きだったのですが、仮にあれが実写にエフェクトをかけただけのものだと言われても、自分の中での評価は変わりません。まあ、ミルクではちょっと想像しにくいんけど。

土居
『春のめざめ』とか『老人と海』とかって、実際にエフェクトをかけているかのように……

大山
なんか変なデジタル感を感じてしまうのはなんでだろう。うますぎるのかな……でも、これ相当計算してやらないとこんな映像にはならないですよね。かなり複雑に。

イラン
後からの処理はあるんでしょうか。

山村
作品を観る限りでは、ほとんど感じられない。後からのデジタル処理の有無というよりは、『春のめざめ』の問題は、ビデオの実写をみながらタイミングを作っているということ。ビデオのただの模写になってしまっている。

イラン
スタート地点から、そうやって限定してしまっているわけか。

山村
そうですね。だったらほんと、アニメーションにする意味はない。実写をなぞるだけだったら。

土居
スージー・テンプルトンの『ピーターと狼』(2006)でも思ったんですけど、「実写でやれよ!」と思う一方で、実写として観ると、貧弱なんですよね。

山村
そうするともう別の次元での競争になってきちゃって。

土居
そうなると、アードマンとかそういうところの作品に簡単に負けるんじゃないの、と。

山村
そう、アードマンやピクサー。そういう部分ではある頂点をなしているわけだから。

土居
そういう人たちと同じ土俵に向かっていっている感じがしますね。

山村
やっぱりアニメーションで作る意味というのは考えていきたいと思うし、それがなくなっちゃうと、魅力が本当に減っていく。

イラン
テンプルトンの作品も含めて、国際的な規模の共同制作のどの作品にしても、ある意味での効果主義の方が占める割合が大きすぎて、他の部分を殺してしまう。

山村
やはり頭で考える人の意見が入り込むほど、そういう方向性に入り込まざるをえない。一本化されて、どこかでバランスをとる方向へ。

イラン
『ピーターと狼』は映像として強烈なインパクトはあるけれど、それだけで成り立っている。今日の話によく似ている。

土居
オスカー・フィッシンガーは『ファンタジア』(1940)でディズニー・スタジオにいたときに、意見を言われるのが嫌で、アイディアが他の人に殺されていくのに耐えきれずに、スタジオから逃げたということがありましたが、ペトロフはそういうことはないでしょうし……

山村
たぶんもっと違う視点をもったプロデューサーがつけば、これだけの力をもった人なんだから、良いものを生み出せると思うんですけどね。今の方向性ではそうは思えないですよね。

大山
こっちの方向にいった方が儲かるは儲かるんですよね。

山村
当然、回収はできるでしょうね。制作費を。

土居
陳腐さをうまいこと操れる方が、お金はつきやすいんじゃないですか。

山村
『雌牛』の人間像はいいですよね。ロシアのつらさみたいなものをどのキャラクターからもきちっと感じ取れるし。ロシア的って僕らが思っているところの厳しさみたいなものがきちっと伝わります。途中の幻想シーン、赤ちゃんが牛の乳を飲むという理想シーンの輝かしい感じ。美しさ。それ以降の幻想シーンではあまり感じられない。

土居
現実観よりも単なる理想像を追い求める方が好きなんですよ。

山村
現実観をとらえようということは、見えないところに向かっていかないといけないし、自分自身と戦わなきゃできないことだから。それをやらないと、新しくつくる意味はほんと僕としてはないと思うから。そういうことをやっていない作品というのはどんどん興味が薄れていく。僕は全然アンチ商業主義ではないんだけど、そう思われているのは、ほとんどの商業主義がそういう方向性で作っているという安直さがあるから。パターン化したもので、売れる要素を入れればいいという。探りがまったくない。当然、いろんな時期の商業作品ってのはそういうものを探っているものもあって、そういうものは魅力的だけど。常に、自分たちの生きている時代を考えていこうという力がないと。

イラン
難しい方向性ですね。

山村
当然、効率性はまったくないわけだし。商業主義や国際的な共同制作では、そういうところは問題になると思うんですよね。それまで築き上げてきたところでやってしまうというつまらなさ。保守的。

土居
それと戦っていかないといけないんですね。

山村
みなさん、戦っていきましょーう(一同笑)。

荒井・中田
おー

イラン
気合いいれて。

和田
こわい(一同笑)。みんな、それぞれの理想像が間違ってたらと思うと……

イラン
自分の理想像とも戦っていかないといけないわけですよ。内なる戦い。……なんだか、適当なまとめに(笑)。

2007年9月16日 山村浩二自宅にて




アレクサンドル・コンスタンチノーヴィチ・ペトロフАлександр Константинович Петров

1957年、ヤロスラヴリ生まれ。76年にヤロスラヴリの美術学校を卒業し、アニメーターの仕事を経て82年に国立映画大学に入学。フョードル・ヒトルークとユーリー・ノルシュテインの師事を仰ぐ。卒業制作『雌牛』(1989)はアカデミー賞にノミネートされる。『水の精ーマーメイドー』(1996)での再度のオスカー・ノミネートを経て、『老人と海』(1999)で遂に受賞。デビュー以来常に文学作品を原作とし、高度な技術力に支えられた油絵アニメーション作品を発表しつづけている。『老人と海』以降は外国資本の支援も受け国際的に活躍し、コマーシャルを手がけることも多い。

フィルモグラフィー

1989 『雌牛』Корова

1992 『おかしな男の夢』 Сон смешного человека

1996 『水の精ーマーメイド』Русалка

1999 『老人と海』Старик и море

2006 『春のめざめ』Моя любовь

アレクサンドル・ペトロフの全作品は、国内盤で入手することができる。DVD情報はこちら。
『アレクサンドル・ペトロフ作品集』[Amazon]
(『雄牛』『おかしな男の夢』『水の精ーマーメイドー』)
『老人と海/ヘミングウェイ・ポートレイト』[Amazon]
『連句アニメーション 冬の日』[Amazon]
『春のめざめ』[Amazon]


ひとこと後記
 ペトロフ作品のクオリティーの高さは、誰が見ても認める所で、でも今回は全体に厳しい批評になってしまった。いったい何が大切で、そして何がアニメーションにとって面白い事なのか。その部分での皆の真剣な議論の結果だったかと思うので容赦願いたい。自分も実感するが、その作家の作品内での比較評論というのは、作家自身にとってはあまりいい気分がしないものだ。A作品よりB作品がいい、といわれればAがだめなのか、と思って傷つく。今後は作家ひとりの評論だけでなく、テーマやカテゴリーをもうけての対談も企画したい。(山村浩二)

 『雌牛』『おかしな男の夢』とそれ以降を比べると、「失われてしまった」としか言いようのないものは間違いなく存在する。これまで誰も言わなかった(ように思える)そのことに関して、みなと同じ感覚を共有できていたことに安心したというのが正直なところ。「絵がきれい」「滑らか」というところで思考停止に陥ってしまうのではなく、その先を考えるための第一歩がここで踏み出せたと思う。(土居伸彰)

 僕が大学の授業で初めてペトロフの作品(雌牛)を観たとき、世界にはとんでもない作家がいるのだと度肝を抜かれた。そして、その作品が学生作品だと聞き、激しいショックを受けたのを覚えている。当時の僕はまだアニメーションを制作し始めたばかり。もともとアニメーションが特別好きだったというわけではなく、むしろ、アニメーションには面白いと思える作品などほとんどないとすら思っていた。要するにナメていたのである。そんな僕をペトロフは容赦なく叩きのめし、同時に、アニメーションには面白いと思える作品もしっかりと存在しているのだという喜びを与えた。それから数年がたち、昨年の広島でペトロフの最新作「春のめざめ」を鑑賞することとなるのだが、その作品は僕に喜びや脅威を感じさせるものではなく、どちらかといえば、僕がかつて「アニメーション作品はこういうものばかりだ」と批判的に見ていた作品群と同じ種類のものに思えた。僕のような駆け出しの作家は、本来、すでに世界的な評価を受けている彼のような偉大な作家についてとやかく言えるような立場にはないのだが、今回の座談会に参加したことで、僕が「雌牛」と「春のめざめ」それぞれに対して感じたものの正体が、なんとなくだがわかったような気がする。(大山慶)

ペトロフ作品、第1印象が物凄いのは誰もが認める所だと思います。でも、そのあと見えてくる素晴らしい部分とそうと言えない部分の差が大きく、だから余計に突っ込み所が目立つのではないかという気がしました。すごい秀才だけど、靴の左右が逆、みたいな…(?)かわいそうだと思いつつ、皆さんの厳しい意見はナルホドと思う事ばかり。言葉にして頂いてもやもや〜っとしていた思いがすっきりしました。 …って、聞いてうなずいてばかりではいけませんね。この座談会の他の皆さんの発言を参考にして、次回はもっと作品をいろんな側面から見て、考えて、それを言葉にできるようにがんばります。(荒井知恵)

ペトロフ、どうにも覚えられない。座談会でみんなも言っていたとおり、絵はとんでもなくうまいし、すごい。それはまったくそうだし、見ている時はむしろわりと感動しているほうなのに、何故かアトに残らない。頭の中をかき乱されたり、胸がドキドキすることがないからか、きれいに忘れる。興味がないと言ってしまえばそうなのだが、今回座談会で皆さんの話を聞いて、その忘れてしまう理由みたいなものに関して自分なりに納得いく部分が多くて勉強になった。そして、また忘れかけているペトロフ作品をもう一度見たくなった。(和田淳)

私はアニメーションを作り始めて4年とそこそこですが、ごく最近までずっとペトロフを目指していたような気がします。彼のように完璧な画力をもって物語も観客もねじ伏せたかったのだと思います。しかし私にはそんな画力は無く、その事に最初は心から落胆・絶望し、でもそれが改めて私自身とアニメーションの関係について真剣に考えるきっかけになっていると思います。そして今も考え続けてます。写実的な画風で作品を作りたい学生さんなら必ず一度はぶち当たる壁ではないでしょうか。ペトロフってそういうひとつの確固たる指標のような作家さんなんですよね。(中田彩郁)
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