劇場配給、パッケージ販売、テレビ放送、教育などアニメーションを届ける媒体に関わっている人々が、どのように考え、どのようにアニメーションを届けようとしているのか、短編アニメーションの魅力を伝える人々へのインタビュー企画第2弾です。今回は、こどもの城AV事業部で、子どものためのいろいろなアニメーションの上映と子どものための映像ワークショップを長年実践されている昼間行雄さんです。
インタビュー後の5ページ目には、こどもの城ビデオライブラリーにある短編アニメーション等抜粋リストも掲載しています。(山村浩二)

「こどもの城」外観
どもの城 AV事業部25年の歩み
山村浩二
本日はこどもの城AV事業部で…もう来年で25周年ですか?
昼間行雄
はい、開館して25周年ですね。
山村
昼間さんは、開館のときからいらしたんですよね?
昼間
そうですね。1985年2月からです。まだ準備室の時からです。
山村
えー、ではあらためまして、本日はこどもの城の歴史をご存知で、その中でもAV事業部に携わって来られた昼間行雄さんに今日はお話を伺いたいと思います。個人的にも東京造形大学のアニメーション研究会の先輩でもあり、長年お世話になっています。本日は、よろしくお願いします。
昼間
よろしくお願いします。
山村
じゃあまずこのサイトの読者の方に「こどもの城」の概要を教えていただけますか?
昼間
こどもの城という施設は1979年の国際児童年を記念して、厚生省(現在の厚生労働省)が建てた国立の児童総合センターで、それを財団法人の児童育成協会、当時は児童手当協会といっていましたけど、そこが委託されて運営しているという形になっているんですね。
山村
はあ、なるほど。
昼間
で、全国の市区町村や県の児童館のセンター的な役割を担うという国立での初めての大型児童施設なんですね。博物館や美術館は展示形の施設ですよね。一定の展示があってそこに行ってそれを見て、プラス、今でいうハンズオン的な活動をするという。
山村
はいはい。
昼間
もともと「こどもの城」は展示形ではなくて、体験型といいますか、来館児がいろいろなプログラムに参加する施設です。その活動場所があって、それがいろいろな分野に分かれているのが特徴なんです。
開館する前には、どのような施設にするかということで検討委員会が度々開かれていたようですが、そこで決められたのが、体育、造形、プレイ(遊び全般)、音楽、それとAVという活動エリアがあって、そのAVというのが当時の時代的なものもありますけど、当時マルチメディアとか…
山村
はい、CD Romとか出始めのころですかね。
昼間
はい、そうですね。映像とか、AVですからオーディオ・ビジュアルですね。オーディオ・ビジュアルが、今後の子どもたちを取り巻く生活の中にも当然位置を大きく占めて来るだろうということで、そういうセクションができたわけですね。そこで専門性の高いスタッフを集めて、いろいろな活動プログラムを立案しながら実施し、そしてその後は、開発したプログラムを全国の児童館に普及、啓発していくというようなことも重要な仕事として位置付けられていきました。
山村
児童館自体は昔からあったんですよね。
昼間
はい。全国に約4千館あります。
山村
まあそのセンター的な役割という。
実際に設立されたのが…?
昼間
1985年の11月にオープンしたので、来年の11月で25周年、四半世紀たってしまったんですね(笑)。
山村
そうですねー。あっという間ですね(笑)。
ぼくも当初からお世話になっています。
昼間
余談ですけど、ちょうど25周年で、昔撮ったアナログの映像資料を今徐々にデジタルのメディアに起こしているんですね。開館当時の催しの記録を見ると、みんな若くてびっくりするんですよね(笑)。
山村
(笑)まあ25年ですからねー。
昼間
そのオーディオ・ビジュアルの部門で何をするのかということですよね。
で、AV事業部はビデオライブラリーというビデオの図書館的なエリア。それと、多目的なスタジオでこども達が映像を作るような活動をする。
その二つが最初から実施しようとしていた活動内容だったんですね。
山村
なるほど。
昼間
で、今でこそレンタルビデオ、DVDが普及していて、一晩100円とかで借りられたり、ネットなどで映像が見れたりしますけど、ちょうど85年当時というのはまだ正式なレンタルビデオがやっと始まったくらいで。
山村
そうですよね。
昼間
ええ、各家庭で気軽にビデオを見ることができる時代ではなかったんですね。
山村
そうですね。僕は大学生の頃で、ベータが半分、VHSが半分みたいな時代でした。
だからかなり時代の先をいっていたというか、ビデオライブラリーをその当時から考えられているということと、体験型っていうところでも、まあ今ではこども達が映像のワークショップを体験するというのをあちらこちらで聞きますけど、その辺もすごく走りというか、日本ではあまりなかったような気がするんですけど。
昼間
ええ、そうですね。
まずライブラリーのほうはこどもの城より前に広島の…
山村
あー、ありますね。映像文化ライブラリー。
昼間
ええ、あそこが草分け的な存在ではないかと思います(広島市映像文化ライブラリーは1982年開館)。

どもの城のビデオライブラリー
昼間
こどもの城では開館前に、ライブラリー・ユースで使えるビデオソフトをまず購入するということから始めたんです。ここは、図書館のようにソフトの貸出しはできず、来館された方が中の視聴ブースで観る方式のライブラリーです。
見たいビデオを来館者が選んで、受付で視聴ブースを指定して、来館者はそのブースにはいると受付の中から送出するという形です。
そうすると、何を見せるかということになりますよね。
山村
そうですよね。まあどういうライブラリーをつくるかと。
昼間
はい。それで当時は購入できるソフトが極端に少なかったんですね。
まず商業映画はだめ。商業アニメーション、テレビアニメーションも数がなく、しかもほとんど許諾がとれず、とりあえずその予算の中で購入することができるものを買っていきました。最初は、600本からスタートしたんです(現在は商業映画や長編アニメーションも所蔵し、総数は23,000タイトル)。だけどその時にもやはり普通のテレビで見られるものではなくて、せっかくこどもの城に来て見るんだから、普通では見られないアニメーションであったり、こども向けの番組などを購入しようという意図があったんですね。このライブラリーの作品選択に私が関わったのは、この初期の数年だけなんですが、アニメーションだけでなく、記録映画や産業映画、児童劇映画なども探しました。
でも、そんなものを売っているところはどこにあるのかという話があって(笑)。
山村
(笑)はい。
昼間
ところが探してみるとあの当時でも、一般の販売店ルートではないですが、図書館や学校の視聴覚教材関係のルートで、さまざまなソフトが販売されていました。今でいうアート・アニメーションというようなものも出ていたんですね。
山村
教育ビデオとか、16ミリで岡本忠成さんも作られていましたけど。
あと学研さんとか。そういう作品がソフト化されているものがあったんですね。
昼間
そうそう、そうです。
それが、そういう会社のカタログだけ見ると題名しか載ってないので全く分からないんですね。岡本忠成さんのだったらエコー社に問い合わせて。学研は、人形アニメーションがありますよね。
山村
昔話のシリーズですね。
昼間
ええ、そういうものを購入したり、あと岩波映画がカナダのマクラレンの作品を6タイトルだけ日本で配給する権利を持っていて、それを買ったり、岩波で頭とおしりのクレジットが日本語版にされているんだけど、イギリスの切り紙の作品なんかがあったりしたんですよね。
そこら辺をピックアップしていって、最初のライブラリーの時にも意外と普通では視聴出来ないような短編のアニメーションを手に入れることができたんですね。
でもそれって、ただ単にカタログに載せていただけでは、こどもたちが来てそれを自ら選んで見ようとはしないですよね。
山村
はい、知っているキャラクターだったり、タイトルとか聞き覚えがないと…
昼間
まず選ばないですよね。当然そのライブラリーで視聴するタイトルも、普通のテレビでやっているパッケージされたものに偏ってしまう。
なので、当初そういう企画をやろうとは思っていなかった、こっちから無理矢理見せるプログラムを(笑)。と言っても、普通の上映会ですけど。
その時はライブラリーで購入したビデオをプロジェクターで写して見せるというふうな、今でもそれは続いていて、「おもしろビデオ館」というタイトルで非常に小規模にやり始めたんです。ライブラリーで購入したものから館内で上映可能な許諾をもらった作品をピックアップして。
そんな形で、こちらでプログラムを組んでこども達またはファミリーに向けて上映をするというプログラムを、開館したときから始めるようになって、それが今度は16ミリのフィルムを購入して、毎月定期的に上映するという…今では「こどもの城映画劇場」というタイトルで行っていますけど、その催しに繋がっています。

こどもの城映画劇場 上映会場
FB作品のコレクション 武藤行雄記念文庫
山村
なるほど。
16ミリで印象的なのはカナダのフィルムをすごく精力的に上映されていて。
あれは武藤…?
昼間
武藤行雄記念文庫という名前がついているんです。
山村
その方のライブラリーを購入した?
昼間
いや、えーとですね、武藤行雄さんという方は当時の理事長の知り合いの方で、その方が亡くなられて、ご遺族の方がぜひ役立てて欲しいということでこどもの城に寄付をくださったんですね。その寄付金でなにをしようかと考えて、その人の名前が残るものにするのがいいでしょうということで、そのお金でフィルムのライブラリーを設立したらどうかということになって、カナダのNFBのアニメーション作品を50本購入させてもらったんですね。それは1992年です。ですからこどもの城には、来館者がビデオやDVDを視聴できる「ビデオライブラリー」という施設とともに、上映するためのフィルム・コレクション「武藤行雄記念文庫」があるということです。少しややっこしいですが。
それ以前にも実はカナダのアニメーションは上映していて、最初はカナダ大使館に行って借りて来て上映していたんですね。そのあと日比谷図書館にも借りに行ったんですけど、こどもの城の入館料が有料上映にあたるとして貸出しできないということになってしまいました。
カナダの作品って、いくらで買えるんだろうって調べたら、以外と安かったんですね。16ミリ版が。それもどんな作品も一律メーターで幾らって。これだったら買ってしまったらどうだろうということになって、じゃあ予算の中で買おうということで武藤文庫以前に、事業の活動予算で13本買ったんです。それは直接NFBとの取引で買ったんですけど。
そのコレクションを元に今の月一回定期的に上映する会というのが始まったのは、忘れもしない1989年の1月7日、これが第一回目なんですね。
山村
日にちまで覚えているんですね(笑)。
昼間
なぜ覚えているかというと、昭和天皇が崩御された日なんですよ。
山村
あー、そうなんですね。
昼間
それはもう全体的に自粛ムードですよね。
山村
そうですよね。テレビ放送とかも、バラエティーものとかみんな止めていましたからね。
昼間
その光景は今でも覚えているんですけど、コ・ホードマン作品をメインに組んで「よーし、やるぞー」と意気込んで開場したら、お客さんは初回7人!ドッシェーって(笑)そんなところからスタートしているんです。
その後日本に代理店が出来て…
山村
アドホックさんですね。
昼間
はい、アドホックさんができたことでその後のやり取りがすごくスムーズになりました。
作家が寄贈してくれたフィルムもあります。なんとイシュ・パテルさんがある日突然、やってきました。「こどもの城のリストを見たら、代表作『パラダイス』が入ってないじゃないか」と。なぜリストに入っていなかったのかというと、当時はカナダ大使館にある作品はそこから借用し、そこに無いタイトルから購入していこうということだったんですれど、パテルさんにしてみたら、ライブラリーとしてはいかがなものかと感じられたのだと思います。事情を説明しようと、「いやー、実はー」と言いかけたら、パテルさんは「だから今日、持って来た。これをあげるから」となんと『パラダイス』のフィルムをくれたんです! 得してしまいました(笑)。
またある時、NFBの当時の環太平洋地域担当者のアンソニー・ケントさんが来日した際に、こどもの城に来られて「こどもの城の中ではフィルムは自由に使っていいよ」と。「スチールなんかも自由に使っていいしライブラリーにも16ミリからテレシネして入れなさい」と非常に好意的に考えていただいて。
山村
あー、すばらしいですね。
武藤文庫に関してはNFBのフィルムだけ、っていうことですか?
昼間
一応最初そうだったんですけど、途中で「キンダーフィルムフェスティバル」がこどもの城で行われた時に来日したヨーロッパの作家の作品数本も入っていますが、表向きにはカナダの作品のコレクションであると述べてはいますね。
山村
今はだいたいどれくらいの本数があるんですか?
昼間
その後は毎年の事業部の予算のなかで、フィルムを買う予算を決めて、10本位ずつ買っていったと思います。現在は全部で142タイトルです。
あと、2001年くらいになるとNFBが新しい作品ができても16ミリのフィルムを焼かなくなっちゃったんですよね。
山村
16ミリのプリント販売をもうしないということですか。
昼間
はい、しょうがないのでその頃欲しかったものはVHSで数本買ったんですけど、なんかVHSかあ、みたいな感じもちょっとあってですね…
最後に16ミリで買ったのが『ある一日の始まり』(ウィンディ・ティルビー、アマンダ・フォービス監督)かな。
山村
あー! そうなんですか…
昼間
それ以外の、ホードマンさんの『エコの庭』とかも16ミリ版はないと言われて、VHSを買ったんですよ(苦笑)。
山村
その後DVDになってしまうんですね。
昼間
そうなんですよね。今でこそビデオのプロジェクターの性能も上がって、DVDの上映でもまあいいかな位になってはきたんだけど、当時やっぱりVHSと普通のビデオプロジェクターの上映は、画質的にはちょっと…
16ミリとはいえフィルムなので、かなり差があったんですね。
山村
はい。
昼間
ちゃんと見せたいというのがやっぱりあって。作品をちゃんと上映して、35ミリよりは劣るけれど、ビデオで見るよりは、全然クリアで…
山村
光量もあって、ディテールもよく見える。
昼間
あとコマ数の問題も大きいですね。『Blinkity Blank』(『線と色の即興詩』、1955年、ノーマン・マクラレン監督)とかはビデオだと全く面白くない(笑)。
でも16ミリのフィルムで見るとちゃんと残像が見えるんで、より鮮烈なイメージで、マクラレンが意図した表現がわかります。
山村
はい、そうですね。もともとフィルムメディアで作ったものですからね。
昼間
なのでやっぱり16ミリで買えないとなると、魅力がないなということが一つと、それとアドホックさんが日本代理店をやめられてしまった関係もあって、買わなくなっちゃたんです。
山村
じゃあ過去のライブラリーで止まっているということですか?
昼間
2001年か2002年位までのタイトルしかないんですね。
山村
なるほど。
昼間
NFBとの購入の契約はノンシアトリカル・ライツという契約で、入場料は別途にとれない、貸出しもできない契約になっているんです。しかしある一時期、入館者を獲得しようということで、「ぴあ」などの情報誌に情報を掲載して若い人たちにアピールして、それでかなり来館される若い人も増えたんですね。日中ではなく夜間に、閉館してから特別に上映枠を設けたりもしてやっていたんですけど。でも、こどもの城は本来、こどもとファミリーを対象にした施設なんで、力の入れ方を日中のこども向けの上映の方に注ごうということと…
その頃、短編のアニメーションが商業映画で上映される時代になって来たんです。
山村
あー、そうですね。
昼間
商業館とバッティングしないように、施設の中での展開を充実させてアート・アニメーションの好きな若者たちではなくて、やはり本来のこどもに向けるということにしたんですね。なのでそれ以降はあんまり上映の…
山村
外部的な上映の告知ではなくて、来館したこどもたちが偶然見られるということですね。
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こどもの城映画劇場 上映会場
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