どもの城 昼間行雄
アニメーションを伝える人 < 1 2 3 4 5 >














*埼玉県立芸術総合高等学校映像芸術科 / 東京工芸大学芸術学部アニメーション学科 / 東京造形大学芸術学部デザイン学科アニメーション専攻 / 日本大学芸術学部映画学科映像コース / 聖徳大学児童学科(2009年12月現在)

校生や大学生と接して思うこと

昼間
私は現在では、こどもの城には嘱託職員として所属してまして、ここに通っている以外では芸術系の高校やいくつかの大学の非常勤講師*をしています。

山村
高校生の作品はどんな感じですか。

昼間
高校生だとベースとなる環境は、自分たちが生活している学校なので、日常が舞台となることが多いのは、ドラマ作品などですと当然あるんですけど、自分の居場所とか位置を見つめるような傾向のものが多い。アニメーションの傾向もそうですね。
また、現代のこどもは、本人を形成してきたものがかなり偏っている、または幅がない人が多いのではないかとも感じます。“世界”がテレビ・アニメとかゲームばかり。だから小学生の頃から大人がちゃんといいものを見せないとダメだと思いますね。高校や大学の段階でそれを始めても追いつかないのではないかという危機感を感じます。

山村
それに興味持てないですよね。きっとその子にとってはつらい、っていうか?

昼間
勉強だから映像作品を見る、もしくは見ないといけないという形ですと、自分がどう作品を見るとか、得るっていうこととは違うような気もしますが……。

山村
そうですね。

昼間
ゲーム、携帯、ネットとか、結局そういうことにこどもの時間が割かれている…

山村
だいたいそうですね。
携帯の弊害はかなりありますよね。
結局携帯で何をするかって、孤独になるか無理矢理友達になるか。
その狭いコミュニティーでの関係性をちまちまと築いていくというのか、ある特定の子たちとのメールのやり取りか、ゲーム…

昼間
結局時間は有限だから、それに時間を割かれれば当然、映画は見ないよね。

山村
小説も読まないし。映画も見ないでしょうし。

昼間
うちの子なんか見ていても、YouTubeとか、何が面白いのかなと思うものを見ていたりするんですね(笑)。
YouTubeは活用次第によっては非常にいいメディアだと思うし、YouTubeが登場してから映像の価値観も変わって来ていますね。それは新しいメディアが出来た時に既存の価値観では計れない映像がたくさん出てくるということだと思います。
でも、既成の著作物をいろいろミックスして作ったような、パロディみたいな? あんなのをさ、喜んで見ていたりするんだけど…それはそれで面白いというような世代なのかもしれないけど、そういうものだけじゃない、ちゃんと表現されたものの面白さっていうのが、こどもの頃に知るチャンスがないと、まずいかなと、最近思いますね。

山村
高校くらいからは、特にそういったものをもう少し広げるチャンスですよね。

昼間
そういう風なことを最近感じる様になりましたね。
大学生なんかもそうですよね。

山村
そうですね。あんまり変わらないですね。大学院生もそれに近いもの感じますから(苦笑)。

昼間
映像とかアニメーションって映像それだけで成立しているものじゃなくて、世の中で他の関係で成立しているっていうものですから。

山村
ええ、あくまでメディアですからね。伝えるためのもの。伝える根っこのところは別に映像にあるものとは限らず他のところから来ているから。

昼間
それ以外の世の中のものをたくさん吸収しないと出来上がって来る作品というのはおのずと…

山村
幅が狭いですよね。
やっぱり、映像を作る技術とそれを培うものって別の教養が必要で、映像教育って難しいところがあるなって思うんですけど。
映像の根幹をなすものって映像からは学べなかったりするわけで。

昼間
そうなんですよね。
映画が出来て、110年しか経ってないわけであって、それ以前の隣接するものが沢山、メディアを含め、演劇とかも含め、全部関係して影響しているわけで、映像だけ切り出して専門的に勉強をしちゃうと、技術的な部分の成熟で満足してしまう危険があると思うんですね。
それで出来上がるものの内容とか世界感は非常に狭い小さなものでしかなくて…
あと、特に最近、映像じゃなくて限定してアニメーションの学科だったり専攻だったりすると、アニメーションはとりあえず見ているけど、映画を含めてそれ以外の表現を全く知らないっていう学生が増えていますよね。それって、もちろん専門的に勉強出来るということは一つの利点ではあるんだけど、その専門性っていうのが、作家として活躍していこうと本人が考えている場合はどうなの?っていうのがちょっとあると思うんですよね。





大生のアニメーションの価値観

昼間
もう一つ、最近大学生と話したり作品を見たりして思うのは、インターカレッジ・アニメーション・フェスティバル(ICAF)の存在が大きいということです。それに選ばれること、そこで上映されるのが学生の目標みたいになっていて、そこが一種の到達点のようです。
それは外側からの価値観なわけで、それだけにこだわるのはどうなのかな?っていう気がするんですよ。
作りたければ、自分で作って自分で上映して発表すればいい訳であって。

山村
あと、最近僕が聞く話では、本当にやりたいことは先生に受けないかもしれないから、ある程度先生や友達に受け入れられるものをやって、本当にやりたいことは学校ではできないって。じゃあ本当にやりたいことってどこでいつやるんだろうって。

昼間
いや、それはー…
学校の授業の作品、課題は課題、自分の表現したいものは課題じゃなくて…

山村
どっかにあって…
でもそれをやっているわけじゃないんですね。これからやろうということなんだと思うけど。

昼間
う〜〜ん…

山村
その、空気を読むというか身近なコミュニティーの中だけの関係性をすごく大事にして、その中での自分っていうものはあまり飛び出しちゃいけない。飛び出すとコミュニティーの空気を乱すので仲良くしておかなければいけない。
なんかそういうのをぶっ壊してもいいとか、無視するとか、はみ出すとかができない。

昼間
ある意味真面目なんですね。

山村
すごく真面目ですよ。誠実で、周りに対して一生懸命生きているって感じはするんだけど。

昼間
自分の作品を作るために人をある種、騙すような事をして上手に作っちゃうっていうのもありですよね(笑)。

山村
僕はそういうタイプです(笑)。他人を利用してまで…(笑)

昼間
(笑)そういうふうな関係性をつくっていくのも仕事のうちであって、作品を作るうちであって。
彼らが卒業してからずっと作っていけるのかって心配なことがあるのと、あと例えば、作品を作っていても面白くないっていう話がけっこうでてくるんですよ。

山村
ああ、そんな作り方をしていても楽しくないですよね。

昼間
うん、大学生とか作品を作ることが苦痛であるみたいなことが…
最初に作品を作るっていうことを学校に入って授業の課題として取り組んでしまったからか、全てが課題の点数としてカウントされることが本人の制作の始まりだったら、それは当然面白くないだろうなと…
なんか、人がどう思おうと、くだらないなって言われようと、作りたいものを作ったという経験がないのだと思いますね。

山村
表現ってある種エゴイスティックなことだから周りを気にしていたら出来ないことなんですよね。

昼間
以前は、作りたいやつは勝手に作っていたし。学内で勝手に発表したり。何もやってないやつはやってなかったし。平均なんてものは何もなかったんだけど、今は平均していることが重要、っていう価値観。

山村
つらい生き方ですよね。

昼間
ちょうどゆとり教育の時代の影響かもしれないんだけど、結局あの時代って、みんな一等賞とか…
ナンバーワンよりオンリーワンの時代。それはそれでいいんだけど…

山村
それが結局それになってないんですよね。競争をさけて、結局平均化するだけで、飛び抜けることが罪になってしまっていて…

昼間
かといってナンバーワンを目指すような感じもない。

山村
ナンバーワンを目指すことが悪になってしまっているから、エゴイスティックに好きなことをやるっていうことが出来なくなっていて、自由な表現とか、発想とか、社会からはみ出すとか、アンチ社会とか、そういう芸術に必要な精神、アンダーグラウンド、アバンギャルドな精神とは全く真逆の、凡庸に行くことが大切みたいな…
それって多分芸術じゃないんですよね。

昼間
多分そうだと思います。
いま就職って大変らしくて、やっぱりアニメーション関係でも就職がないって、学生の会話を聞いていたら、「これはアニメーション作家になるしかないかな、って思うんですよ」って(笑)。

山村
就職しない人がアニメーション作家なんだ。

昼間
すごい、これも間違った情報だなと。

山村
う〜〜ん…
やっぱり小中学、こどもの頃の教育のポリシーってかなり大きな影響を受けるっていう気がしますね。たぶんアニメーションだけの問題ではなくて。

昼間
ええ、だと思いますね。
今いろんな表現の世界でそう感じている人が多いのかもしれないですけど。4 >

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