ムーヴマン: 絵画とアニメーションの挟間で <1 2 3 4 5 6> | |
![]() 絵画のアニメーション(前編) 山村浩二講演於東京日仏学院 2008.3.8 |
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山村浩二(左)と通訳のイラン・グェン(右) みなさんこんにちは。本日は「アニメーション化された絵画/絵画のアニメーション」と題された講演会に起こしいただき、ありがとうございます。山村浩二です。よろしくお願いします。(拍手) この講演は、みなさん先ほどこの会場での絵の展示もご覧になっていると思いますけど、「ムーヴマン:絵画とアニメーションの狭間で」というオリビア・モーレイ=バリッソンの二人展、簡単に言うと、彼女がフランスからアニメーションを習いに私のところに来まして、五週間のワークショップをしてきて、その一貫で、今日と明日の講演で、その総まとめをしようということです。オリヴィアさんは、画家としての自分の作風は確立された方なのですけれども、アニメーションは今回初めての試みで、僕も自分自身のアニメーション制作のなかで絵画的な要素や絵画の歴史との関係性といったことをずっと考えていたものですから、そのへんのことを今日まとめてお話したいと思います。 彼女とのワークショップを通じてアニメーションと絵画との共通性、もしくは共通しないもの、相容れないものというのもあるのではないかな、とは感じながらやってきたわけで、今回の講演も、絵画とはなにか、アニメーションとはなにかということを考えていきながら、両方の共通性や共通しない部分を浮き彫りにできればいいなと考えています。 はじめに言い訳をしておきますと(笑)、「絵画とはなにか」なんて非常に大きな問題なわけでして、僕自身絵画を大学で勉強して、絵画史や美術史を多少習っていますけれども、やはり専門的に研究していかないと、とても奥が深く幅の広いものですから……でも、今回絵画とアニメーションの関係性を語るうえでは、どうしても歴史的な要素も入ってきたりということで、その辺は専門外の視線として、アニメーション作家の視点から、ということでご容赦いただきたいと思います。 絵画とアニメーションという話題を考えても、今回入れられなかったアニメーション作品も当然たくさんあります。ふと、直前になって、そういえば自分もそういう作品を作っていたなということを思い出しまして、最初に自己紹介も兼ねて、『冬の日』という作品を上映したいと思います。 ![]() 山村浩二『冬の日』(2003) ⓒ 紀伊國屋書店 DVD情報はこちら ご覧いただいてわかるように、ボッティチェリの絵を引用して、アニメーションのアイディアとして、俳句と組み合わせています。絵画とアニメーションということで、最初はごく単純に、絵画的な要素や構図の引用の話をはじめにしたあとで、絵画史や絵画の流派、特にシュルレアリスムとアニメーションとの関係を話して、その後、アニメーションならではの絵画的な技術の話に進んでいきたいと思います。 絵画とはなにか、とは一言では言えないわけですが、これが人間の独自の営みであることは確かでして、子供から、ほとんど万人が絵を描くことができるわけです。描くという行為自身、そして描かれたもの、そのふたつを分けて考えないといけないと思うのですが、万人ができる行為のなかで、どうやって質を高めたり、優れたものを作ることができるか、というのを作家としてはいつも考えるわけです。そのなかで、優れた絵画・歴史に残る絵画はどういうものか、ということを考えていくと、モチーフに加え、それをどのように構成するかという、構図(コンポジション)の問題が非常に大きくなってきます。 ![]() 今映っているのはレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』です。ヨハネの福音書から、ユダの裏切りの場面を描いた非常に有名な絵画です。みなさん、ディティールは知らなくとも、『最後の晩餐』というこの絵は漠然と知っていると思います。遠近法を巧みに使った優れた構図が思い浮かぶでしょう。長い歴史の中でも忘れられずに鑑賞されていく絵画というのは、構図の強さ――ひとつの画面のなかでの完成されたコンポジション――が大切になってきて、それが人々の気持ちのなかにはっきりとした意味をもっていろいろと残っていくんじゃないかと思うんですね。この『最後の晩餐』も、アニメーションではないのですが、映画の中で引用されています。例えば、ルイス・ブニュエルの『ビリディアナ』やロバート・アルトマンの『M★A★S★H』なんかで非常に印象的に映画のなかに引用にされていたと思います。 ブニュエルについて少し触れたいのですが――後半のシュルレアリスムの話のなかで重要になってきますので――、アニメーション作家ではないのですが、シュルレアリストとしてずっと映画を作りつづけていて、一番有名なのはダリと組んで、二人で脚本を書き、監督はブニュエルがした『アンダルシアの犬』という映画がありますけど。ブニュエルの場合は、宗教的な批判を込めて、『ビリディアナ』に、ダヴィンチの絵を引用したんだと思います。 ![]() マネ『草上の昼食』 やっとアニメーションの引用の方に入ってきますけれど、マネの『草上の昼食』――事前に確認したのですが、原題のフランス語は、『草上の朝食』という意味にもとれるみたいですね――なんですが、何を紹介するかこれだけでわかってしまう人もいると思いますが、プリート・パルンの『草上の朝食』です。マネは西洋の近代絵画のはじまりを告げる非常に重要な人物だということはみなさんご存知だと思いますが、彼自身は印象派に属しておらず、印象派との交流も深くなかったわけですが、印象派を導いた、優れた画家でした。彼自身は、それまでの中世以降、ルネッサンスやバロック以降の、スペインの絵画やヴェネチアの画家たちの影響を受けながら、一見写実的にみえながら、色彩の面や描かれるモチーフ、構図ー非常に平面的な画面構成ですーで、ある種その時代にとってアヴァンギャルドな作家だったわけです。伝統的な西洋絵画の伝統を受け継ぎながらも、それを解体していくことを成し遂げた画家です。このマネの絵画を素晴らしく引用したエストニアのプリート・パルンの『草上の朝食』を一部抜粋だけ上映します。全編をまだご覧になっていただいてない方には非常に申し訳ないのですが、ラストのシークエンスをみていただきます。断っておきますけど、これはほんとに素晴らしいアニメーションで、何十回観ても素晴らしいので、ラストだけ先に観たからといってがっかりするようなものではないと思います。 『草上の朝食』抜粋上映 このアニメーションにはキャラクターとしてピカソらしき画家が出てきたりするのですが、近代における芸術家の自由とはなにか、というのがテーマになっていると思います。マネの絵からモチーフを得てアニメーション化した素晴らしい作品です。マネの絵自体、着衣の男性がいる一方で裸体の女性がいるということが発表当時かなりショックだったようなのですけど、やはり四人の人物のコンポジションが非常に印象的でもあった。今のアニメーションも、マネの芸術からアイディアを得ていたわけですけれども、芸術というのは、必ずしも、すべてを現実から取り入れるのではなく、芸術から芸術を学んで、そこのなかでなにかを見つけていくということも往々にしてあります。 マネの絵は1863年に描かれたのですけれども、次にみていただくのは『田園の合奏』という絵で、これは1510年に描かれたものです。二人の裸婦と二人の男性が登場し、構図的にマネの絵と近いところがあります。 続いて、ライモンディの『パリスの審判』という絵です。マネが直接参考にしたかどうかはわかりませんが、構図的には非常に近いものがあります。探してみると、マネ以前に非常にたくさんの同様の構図というのがみられるわけです。 これはピカソの『草上の昼食』で、マネの絵と同じ名前がついています。 ![]() ピカソ『草上の昼食』 これは明らかにマネの絵を引用して描いたものだとわかりますね。次はより現代の作家でアラン・ジャッケという作家の、写真をベースにした、やはり『草上の昼食』という作品です。1964年につくられました。 ![]() ジャッケ『草上の昼食』 ではここで、ピカソの創作風景のムービーを観ていただきます。これは非常に有名なピカソのドキュメンタリーで、『ミステリアス・ピカソー天才の秘密』という作品なんですが、僕が若いときにこれを観て、「絵画とアニメーションって近いんじゃないか」と感じた映画です。では、その一部分を観ていただきます。 ジョルジュ・クルーゾー『ミステリアス・ピカソー天才の秘密』(1956) ⓒ 紀伊國屋書店 一部上映 もうちょっと長く観ていただいた方が良かったのですが、いろいろ事情もあるので……このドキュメンタリーは、ご覧になってない方のために補足しますと、ピカソ自身が絵を描いているその裏側から撮影していて、もしくはこうやって段階を追ってコマ撮りをしていくことで、ピカソがどのように絵を描いているかが本当に手にとるようにわかる映画なのですが、イマジネーションというのがどんどんと発展していって、こちらが画面で観ていると完成したんじゃないかと思うようなところで、そこからなにか自分の絵の中との対話が始まって、また違ったモチーフに移り変わっていくという調子でどんどん展開していくんですね。人間の描く行為のなかでの絵画と作家との対話によってイメージが広がっていく、というのはアニメーションも絵画も共通する要素なのではないか。僕のなかですごく強く思う部分です。 優れた作家というのは、自分自身はもちろん作り手の視線とともに、自分自身の絵画の観客にも創作の途中でなりうるわけです。自分自身の創作との距離の取り方、その距離感というのがとても大事なのじゃないかなと思います。これは絵画やアニメーションに限られたことではなくて、表現全般に共通することなのですが、非常にパーソナルな行為でありながら、そこでナルシストになってしまってはダメなんですね。自分自身にただ酔ってしまうんでは、作品としての力というのは得られないのではないかと思います。 ちょっと順番が前後してしまいますが、先ほどのプリート・パルンのアトリエの様子をスライドとしてみていただきたいと思います。彼自身は、優れたアニメーション作品を作りつづけている現役の作家でありますけど、版画家として、イラストレーターとしての成功も非常に収めています。アトリエの銅板画用のプレス機ですね。エストニアのバルト海を臨む非常に素晴らしいアトリエにお邪魔したときの映像です。紙に紅茶だとかを足で塗りたくって染みをつくって、その後でドローイングをするというやり方です。 パルン自身、シュルレアリスムの系譜のなかに位置づけられる作家の一人だと思うのですが、今世紀初頭のシュルレアリスムの絵画の理念はいろいろな影響を与えていて、今日のグラフィック・アートでもそうで、ダリやマグリットなどの幻想的な絵画が現代のグラフィック・デザインに与えた影響は大変大きいですけど、アニメーションの方にも実は大きな影響と関係性をもっています。アニメーション映画というのが既に存在している時代の絵画活動でありますから、画家自身が、映画やアニメーションの方にも関係していく事がまずある。今回、抜粋も上映できずに残念なのですが、ダリとディズニーが共同制作した『ディスティーノ』という1945年にダリがディズニー・スタジオを訪れたときに企画されたものが眠っていて、それが2003年にCGの力を借りてようやく完成したというものがあります。そのように直接的にアニメーションとシュルレアリストの間の関係性というものがあるわけです。 ではここでアニメーションを観ていただきます。ノーマン・マクラレンの『幻想』というフィルムで、1952年のものです。これは全編おみせできます。 ![]() ノーマン・マクラレン『幻想』(1952) © National Film Board of Canada DVD情報はこちら 今みていただいているのは、イヴ・タンギーという1903年にパリで生まれた画家で、世界大戦後にアメリカに移って制作を続けたシュルレアリスムの作家です。シュルレアリスムの運動のなかで中心的な人物だったアンドレ・ブルトンが「最も純粋なシュルレアリストの作家である」と言っています。マクラレンは若い頃イブ・タンギーの絵画に影響を受けて、今のフィルムにもその影響が如実に見られます。 シュルレアリスムについて簡単に解説しておきたいのですが、これは日本語の問題なのでしょうか、「超現実主義」と呼ばれたりする。さきほどのマクラレンの作品は"Phantasy"というタイトルが付いていて、日本語で「幻想」という言葉で訳されています。しかし、「超現実」や「幻想」という言葉は、原語がもつニュアンスと少し違うのかな、と思います。日本語で「幻想」とかファンタジーというと、どうしても現実離れした、現実から逃避したものであるというイメージが強いと思います。超現実も、現実を超えた非現実の世界を描くことだと勘違いするきらいがあります。 「超」というのは超えるというよりも過剰なまでに現実的であるという意味なんですね。よりリアルな現実を捉えようと言う考え方なのです。で、夢であるとか無意識の世界ー―主観的なものの入り込まない世界ー―を見つけ出し、それによって、現実に自分たちが見えていなかったものを見いだすという活動がシュルレアリスムだったと思います。ですから、一見理解しがたいようなこのような形状や物質の位置関係、そして、彼らが用いたコラージュや自動筆記といった偶然性を描く行為にいれていくというこういったやり方も、これまでみえなかったものを見出そうとする一つの絵画的行為だったと思います。 僕のようにアニメーションを作っている立場からすると、アニメーション制作を行っているあいだというのは、自分自身のイマジネーションとの対話があって、創作中にすごく無意識な世界へと入っていき、そこから自分が意識的に考えたものを超えたアイディアが出てくるということがあります。そういう点で、人間の剥き出しの意識とでもいうようなものを露出させるアニメーションという装置は非常にシュルレアリスムの考え方に近いものがある。その理由で、アニメーションとシュルレアリスムはお互いに関係性が強くなっていくのかな、と思います。 シュルレアリスムの代表的な画家の一人、ルネ・マグリットという画家がいますが、そのアシスタントもしたことがあるというラウル・セルヴェというアニメーション作家がいます。彼の作品をみていただきたいと思います。セルヴェの母国であるベルギーを代表する、マグリットと並ぶシュルレアリスムの画家、ポール・デルヴォーを題材にして制作された作品です。 ![]() ラウル・セルヴェ『夜の蝶』(1998) © Raoul Servais DVD情報はこちら 日本で非常にポピュラーなのでここではあえて上映して紹介はしませんが、最後、シュルレアリスムの締めくくりとして、ヤン・シュヴァンクマイエルについて少しだけ話します。シュルレアリスムの運動自体は、1924年のシュルレアリスム宣言から始まって、その中心人物であるアンドレ・ブルトンが亡くなった1966年に終わったという説があるのですが、絵画的な芸術活動としてそれを受け継ぐ人たちは今でもいますし、チェコ生まれの映画監督でありアニメーション作家でもあるヤン・シュヴァンクマイエルもシュルレアリストとして活動している作家の一人です。 シュヴァンクマイエルに限らず、現代は作家自身が画家でありながら、アニメーションをつくるというケースも非常に多いです。例えば、ウィリアム・ケントリッジは現代美術作家として非常に有名で、さまざまなビエンナーレなどで、インスタレーションの作品や、ギャラリーなどで映像作品を流すという活動をしており、アニメーション作品もたくさん作っています。二つ前にみたノーマン・マクラレンの『幻想』という作品の技法はケントリッジのものと同じで、マクラレンの場合はパステルで、ケントリッジの場合は木炭で描いているわけですが、一枚の絵のなかで木炭やパステルを描いたり消したりしながら絵を少しずつ変化させるという手法を採用しています。ケントリッジは南アフリカで生まれたということもあって、非常に政治的なメッセージを強い作品をつくっていますが、彼自身のアニメーションのフィルムというのは、それよりも、描く行為自体への方にバランスが向いていて、描きながら消していき、それによって絵が変化していくという様子をみせたい、というものが多い気がします。 ではここでアニメーションをまた観ていただきます。フローランス・ミアイユさんの『カルティエ物語』というフィルムです。 ![]() フローランス・ミアイユ『カルティエ物語』(2006) © Les films de I`Arlequin, Office national du film du Canada, Arte France DVD情報はこちら パリにあるミアイユさんのアトリエの写真をスライドでおみせしたいと思います。ニューヨークでいうとソーホーのような感じなのですかね。廃墟のビルのなかにたくさんの芸術家が住んでいるそのなかに、彼女のアトリエがあります。彼女自身は、現代のフランスを代表するインディペンデントのアニメーション作家の一人であるわけですけど、画家としても成功していて、個展なども多く開いている作家です。画家としてのバックグラウンドが強いのですが、それでもアニメーションをコンスタントに作りつづけています。 僕もそうなんですけど、絵を描くことからアニメーション制作をスタートさせた作家は、アニメーションに使う素材自体は絵具を使って紙に描いたりすることが多いのですけれども、最終的にはコンピュータで画面を作っていく。でも素材自体は非常にアナログが多いです。このあとで、今度は画材とか技法に焦点をあててアニメーションと絵画の関係について考えてみたいと思いますけど、このミアイユさんもいろんな技法をミックスして制作しています。シートの上で、油絵具で描いては消して……というやり方で動きを作っています。それを線画台の上で絵を描き換えたり、ときには砂を使って絵を描いたりしています。 山村浩二講演会「アニメーション化された絵画、絵画のアニメーション」>後編へ続く ○DVD情報 ルイス・ブニュエルDVD-BOX3[Amazon](『ビリディアナ』収録) 冬の日[Amazon] フローランス・ミアイユ作品集[Amazon](『カルティエ物語』収録) 「夜の蝶」他 ラウル・セルヴェ作品集[Amazon](『夜の蝶』収録) ノーマン・マクラレン作品コレクション[Amazon](『幻想』収録) | |